小説 川崎サイト



十円磁石

川崎ゆきお



 翔太は一日何もしないでぶらぶらしているわけではない。ぶらぶらをしている。
 しかし、それは社会的には何もしていないのと同じだ。したがってぶらぶらの中身など取るに足らぬことで、有益なことではないので価値も低い。
 翔太も好きでぶらぶらしているわけではない。他にすることがないため、ぶらぶらしているのだ。
 しかし、何らかのネタがなければぶらぶらも出来ない。
 最近翔太が考えたネタは十円玉の遊びだ。十円磁石とか十円羅針盤とか名付けている。どちらにしても無益なことなので、名称などあってもなくてもよい。
 翔太は自転車に乗り、この十円磁石を実行する。
 十円玉の裏表で行き先を決めるのだ。表が出ると左折。裏が出ると右折。それだけのことだ。
 十字路で表が出れば左へ曲がり、裏が出れば右へ曲がる。直進はしない。
 安アパートの自転車置き場から通りに出るとき、ポケットの中で十円玉を指先で何度も回転させる。適当なところでポケットから取り出し、裏か表かを確認する。それで通りを西へ進むか、東へ進むかが決まる。
 東西南北は関係ない。右か左なので、磁石の絶対的な方位とは異なる。
 翔太は北と南は把握しているが、東と西が曖昧なようで、西と言われても急には分からない。日本地図を思いだし、左側が西で右側が東だと再確認する。
 十円玉磁石で左が続くと同じ場所を一周することになる。しかしそんなに連続することはないので、何処かで右へ入る。
 大きな道の左側を走っているとき、右側に枝道を見つけても無視する。見えていても渡る場所がない場合だ。
 この十円磁石に翔太は夢中になった。それほどの面白さがあったわけだ。
 自転車でうろうろするにしても、行き先に事欠く。別に用事があるわけではないので、何処へ行ってもかまわない。
 目的地がないのだから、過程を楽しむことになる。そして何処を通るのかは偶然で決まる。住宅地に入り込んだり、商店街や駅前のショッピングモールの中に突っ込んだりする。
 すぐそこに面白そうな場所があっても、十円磁石がそこを指さなければ辿り着けない。
 たまにどんぴしゃりと命中することもある。そんなとき、
「やった」
 と、声を出すほど感動することもある。
 翔太の課題は、どこでこのルールをやめて、アパートに戻るかのタイミングを決めることだ。そうでないとアパートに帰れる偶然性は殆どなくなる。
 
   了
 
 



          2006年9月20日
 

 

 

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