小説 川崎サイト

 

物思いと風景

川崎ゆきお


 物思いに耽っていると、目の前のものを見ていない。自転車で走っているときは、さすがに前方をそれなりに見ているが、最小限のものだ。特に毎日通っている道ならなおさらのこと。
 そして、昨日の風景と、今日の風景の違いを思い出せない。きっとその違いが視界に入っていたとしても、重要なものではなければ、物思いに頭の中のメモリに取られてしまうためだろう。
 竹田はその日も、自転車である場所に到着したのだが、沿道での記憶はほとんど残っていなかった。物思いに専念していたためだ。
 ただ、一度だけ印象深いシーンがあった。それは四つ角に侵入しようとしたとき、タクシーの鼻先が右から見えた。タクシーはすっと止まった。竹田はそのまま四つ角を通過したとき、軽く右手を上げた。
 車はガラスの箱に入っているようなものだが、運転手が思っているほど中は見えない。反射するし、人の気配がない。だが、車の気配は確実にある。キャラとしては人ではなく、車種なのだ。
 この記憶だけは残っていた。やはり危ないシーンだったので、物思いからリアル映像に切り替わったのだろう。
 さて、その物思いだが、大した内容ではなかった。部屋を出るときテレビで高校写真部の活動をやっていた。それを見たとき、一眼レフデジカメがずらりと並んでいた。普及機だが、中望遠まで写せるズームレンズが付いていた。何台も机の上に置かれている。これは写真部のもので、個人所有ではないのだろう。
 それを欲しくなった。そのための物思いだ。
 竹田はカメラを持っているが、コンパクトカメラだ。かなり熱心に使っている。風景やスナップで、暇があれば写しているのだ。その日も自転車移動中、実は被写体を探しながら走るのがいつものスタイルなのだが、今日は物欲が邪魔をしていた。
 しかし、その沿道、もうほとんど写し取っており、これといったネタはないので、写す気があっても被写体そのものがない。写すにはかなりよく探し出さないと駄目だ。そのため、ぼんやりと走っていたのでは、見つからない。
 考え事をしていて、誰かにぶつかる。というようなことはあまりないと思う。最小限の機能は生きているので。つまり、それなりに見ているのだ。そして、変化がないため、物思いに集中出来る。その間も実際にはよく見ているのではないか。
 昨日の沿道風景と、今日の沿道風景があまり違わない場合、記憶として残っているフィルムを回しているわけではないだろうが、同じものではなく、違うものを見つけ出すのがうまいようだ。
 同じだと平和だ。違うと、そこからどんな展開がやって来るかもしれない。だから、切り替わる。先ほどのタクシーのようなものだ。
 ただ四つ角でいつも車が先に止まっているのが普通になれば、それほど注意を払わないだろうが。
 何が起こるか分からない。ここはやはり頭も冴える。そしてフル回転する。
 と、いうようなたわいもない話だが、基礎となる感覚は大事だ。
 
   了

 


2013年2月25日

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