小説 川崎サイト

 

竹田式発想法

川崎ゆきお


 少し古い記憶は、今とそれほど関係がないためか、あまりアクティブではない。そこからの情報は参照程度の価値だろうか。
 当時あれほどアクティブだった事柄も、今となってはその他大勢のエキストラを見る思いだ。
 竹田は過去から何かを釣り上げようとしていたが、それは、今の時点で価値ある何かだ。しかし、以前、値打ちがなかったものでも、今の時点では行けるものもある。竹田の狙いはそれだ。
 しかし、これは天啓でもない限り、雰囲気的に付いてこないことがある。その事柄と接していた時代の雰囲気がある。
 その雰囲気は、データ化されにくい。何かにくっついている雰囲気なのか、それとも、その時代を生きたときの雰囲気なのか、雰囲気だけに曖昧だ。
 過去釣りと竹田が呼んでいるものは、狙ってもうまく釣り上げられない。それは、今の雰囲気から判断するためだろう。
 だから、作為的に探るのではなく、偶然思い出したような事柄の方が意味ありげだ。これはややもすると神秘めいている。
 思い出そうとして思い出したものではなく、急に思い出したもののほうがいいのだ。
 ただそれにはトリガーとなるきっかけがいる。あるものを思い出し、それにつられて、思いもよらないものが出てくる。しかし、これは滅多にない。連想法で引っかかるものは多いが、想定内なのだ。それに無理にこじ開けたような感じがある。そのためかどうかは分からないが、わざとらしい。
 一番いいのは天啓だ。しかし毎日天啓が降りてくるわけではない。
 それよりも頭の中を空にしているときの方が降りてきやすい。
 過去の思い出や、記憶を呼び出すとき、いじくり回すような感じだと、鮮度が落ちる。だから、突然来る方が扱いも新鮮だ。
 過去の思い出をたぐるのではなく、始めて接するような沸き方だと、それはもう過去のことではなく、今のことになる。
 そのため、竹田式発想法とは、弄らない、と言うことだろうか。
 
   了


 


2013年3月4日

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