小説 川崎サイト

 

タンポポ

川崎ゆきお


 冬の終わりの暖かい日だった。陽射しに元気がある。風景が緩んでいる。
 吉田はいつものように田畑の残る住宅地を自転車で移動していた。畑の側溝に黄色い花が咲いている。田植え時期になるまで、この溝は空のことが多い。土砂と言うほどのことではないが、土が滞積しており、そこに根を張っているのだろう。底も側面もコンクリートだ。
 タンポポが咲いている。最初吉田はそう思ったのだが、これはタンポポではないことを知っている。花は似ているが、背が高い。
 しかし、それをタンポポだと思っていた方が平和だ。季節と合致するためだ。やっと春になりかかり、気持ちも緩んできている。身を固くしていた冬とは違うのだ。もう筋肉を緩めてもいい。それを象徴するのがタンポポだ。この花が野や畦に咲く季節。そのイメージ通りのタンポポのような花が咲いている。ちらっと見ただけでは分からない。だから、まがい物でもいいからタンポポとしたい。
 しかし、この花から見ると、決してまがい物ではない。タンポポだと思う側に問題がある。
 知らなければ仕合わせなのだが、それをカメラで撮し、タンポポだとコメントを付け加えれば、知っている人はその間違いに気付くだろう。ただ、花びらだけを撮せば、タンポポのようにも見える。
 タンポポは地面に這うように生えている。その隣りに、春の小さな花も咲いているはずだ。土手なら土筆や蓮華が横にいるかもしれない。
 しかし、吉田が見たタンポポのような草は、側溝で咲いている。それほど繊細な草ではないのだろう。それだけに生命力が強い。土のあるところなら、何とかなる感じだ。
 吉田は、そのタンポポに似た草の名を知らない。タンポポが咲いていたとは決して言えないのだが、タンポポにしてしまってもいいのではないか。その方が、この日の気分にはふさわしい。
 どちらにしても春を告げる草花なのだ。
 名が分かればその名で呼ぶのだが、今はタンポポに似た花として、タンポポに準じるものとして認識することにした。ただ、花の名を調べるほどのことではない。
 もし、知ったとしても、やはりそれをタンポポと呼ぶだろう。
 
   了


 


2013年3月6日

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