小説 川崎サイト

 

前兆

川崎ゆきお


 世の中には不思議なことがある。
 たとえば何らかの前兆が現れる場合だ。その前兆は、お知らせのようなものだが、そのときは何らかのメッセージが込められているとは思わない。
 あることが起こってから、そういえば、あれが前兆だったのかとやっと分かる。
 その前兆は日常の中にあるのだが、これをやり過ぎると迷信深い人間になり、非常に忙しいことになる。そして、そのほとんどは空振りだろう。
 ああ、そのことを伝えようとしていたのか、というのはあとで分かる。だから、前兆を受け取っていても、それが前兆だとは気付かない。
 そして、何かが起こってから、後日、前兆の意味が分かってくる。あの時の、あの現象がそうだったのかと。
 その前兆は未来を予測していたのだが、起こったあとからでないと分からないため、あまり便利なものではない。それに紛らわしいものも含まれているため、使い回しが悪い。
 前兆候補になるものは、いつもの動きとは違う現象だろう。しかし、現代人は忙しいので、いちいちそんなことに構ってられない。だから、気にすることなく過ごす。
 ただでさえ忙しいので、前兆かどうかを考える暇はないだろう。
 前兆というのは、予測のようなものだが、大概悪いことが多い。茶柱が立つとかの善いことの前兆もあるが、最近の前兆は、今風なものに置き換えられている。
 善いことは準備しなくてもいいが、悪いことは、前もって覚悟なり、準備が必要だ。ただ、前兆を見出しても、それで何が起こるのかまでは分からない。
 起こったとき「ああ、ここに来たのか」という程度だ。それで、前兆クイズの答えを見ることになるのだが、結構意外な答えなので、それでは前兆からは想像しにくい。
 そして、前兆そのものも、あるのかどうかは分からないのだから、取り扱いが難しい。
 しかし、何かの糸で繋がっているような不思議な因果関係を体験したとき、世の中が妙に見えることがある。
 
   了

 


2013年3月8日

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