小説 川崎サイト

 

経営者と妖怪

川崎ゆきお


 閑静な住宅街、それは場所ではなく、敷地面積の広い家が建ち並んでいるだけかもしれない。そのため街並みに余裕がある。道幅の広い道路は家と家との緩衝地帯になっている。車が多いので、広くしたものではないようだ。
 妖怪博士はその道路のど真ん中を歩いている。車がいないのだ。それは特別な日ではなく、これが閑静そのものなのだ。
 そして、ある感性について、相談を受けた。依頼人は元会社経営者榊原氏。今は隠居さん。
「感性ですかな」
 応接室とはまた別の部屋で、何に使うのか分からない部屋に妖怪博士は通されていた。部屋数が多いわりには家族が少ないのだろう。子供か孫の部屋だったのかもしれない。
「僕に特別な感性が備わっているわけじゃないけど、妖怪変化が行ったり来たりしていますよ。冗談ですがね。まあ、そのつもりでお聞き下さい」
「はい」
 元経営者は、わざわざ妖怪博士を呼んだのだから、妖怪に用があるはずだ。
「情念」
「はい」
「会社とは、仕事とは、それは情念なんだな」
「はあ」
 会社や組織とは縁のない妖怪博士は、ぴんとこないが、まあ、情念は誰にでもあるため、分からないわけではない」
「仕事のほとんどは情念の処理だった」
「情報じゃないのですかな」
「そんなものは簡単だよ。怖いのは人の情念、この処理が一番手こずった。今もその後遺症で、妖怪を見てしまうよ。冗談だよ。冗談」
「情念が仕事なのですかな」
「仕事は情熱じゃない。誰かの情念をどう裁くかにあった。これは裁けないよ。そして最後の判断は僕がした。そんなことはしたくないよ。喜んでくれる場合ばかりじゃない。内の人間も、外の人間もね」
「つまり、恨み辛みを受けていたわけですね」
「僕は悪人じゃない。だから、そうならないように何とかしていた。恨まれる理由などなくても恨まれる。相手も恨みたくはないだろう。しかし、そうなる。そんなことばかり何十年もやっていた」
「情念とは何でしょうか」
「それはマニュアル外の人の感性でしょ。本音と言ってもいいが、そんな上等なものじゃない。もっと稚拙で、子供っぽい。嫉み、誹る。まあ、よい面で出れば、のぼせる、つけあがる。調子に乗る。理性的じゃない。動物的だ。だから、妖怪のレベルなんだよ」
 要するに妖怪博士は愚痴を聞きに来たわけだ。
「よい面での情念は、まあ何とかなる。問題は悪い面だ。それはいつまでも恨まれ、いつまでも嫉まれ、いつまでも悪い念を送られている。その情念の妖怪退治が僕の仕事だった。ほとんどそれに費やされたよ」
「それで、妖怪なのですが、本物が出たわけじゃないのですな」
「この年になるとぼけてきてねえ。誰が原型なのか分からないが、妙な動物が部屋にいることがある」
「ああ、やはり、具が出ましたか」
「具?」
「あ、本物の妖怪が」
「おそらく幻覚だと思うのだが、どうだろう。専門家としては」
「じゃ、幻覚でしょ」
「まあ、そうあっさりおっしゃらないで」
「あ、はい」
「それは、見ようと思えば出てくるのですよ。情念のバケモノがね。もう誰だか分からない。一匹の妖怪になって現れる。コイツが今までの情念を全部まとめているような感じだ」
「一匹でですか」
「そう、一匹で、そいつは、僕が思うと出てくる。そして、こちらをじっと見ている。そして、消えなさいと念じると、消えてくれる。実にたちがいい。飼い慣らしたわけじゃないけど、おそらく僕の部下達だろうねえ」
「どんな姿ですかな」
「猿ほどの小ささで、毛が生えておるが、顔は人間だよ。猿顔じゃない」
 妖怪博士は頭の中で妖怪図鑑を開いた。猿に近い妖怪はわんさかいる。
「その妖怪が怖いわけじゃない」
「それは今も出ますか」
「すぐ出る」
「はい」
「もう、出た」
「早いですなあ」
「君の横で座っておる」
 妖怪博士は左右を見るが、何も見えない。
「あなたには見えませんよ。僕の幻覚なんだから」
 妖怪博士は立ち上がり、彼の前に立ちはだかった。
「これでも、まだ見えますか」
「それじゃ見えない」
 妖怪博士は椅子に戻る。
「今はどうですか」
「いるいる」
「じゃ、その猿のような妖怪に近付いてもらえますかな」
 榊原氏は立ち上がり、妖怪博士の隣に来る。そこに妖怪がいるはず。
「どうです。触れる距離でしょ」
「いない」
「じゃ、戻って下さい」
「うむ」
「どうです。まだいますかな」
「いない」
「では、出して下さい。いつものように、その妖怪を」
 榊原氏は、しばらく黙っている。
「どうです」
「出ない」
「はい」
「いつもなら、すぐに出るのだがねえ」
「調子が悪いようですなあ」
「そうだな。しかし、何かすっきりした」
「じゃ、これで、退治したということで、いいですかな」
 妖怪博士は特に何かをやったわけではない。
「また出たら、どうする」
「また呼んで下さい」
「そんなものでいいのか」
「完璧な退治などあり得ませんから」
「そうだな」
 帰り際、妖怪博士は封筒を手にしていた。
 そして、閑静な通りをまた、歩いている。
 春が近い。その封筒の中身で、ちょいと上等な春物のコートでも買おうと、妖怪博士は思った。
 
   了

 

 


2013年3月14日

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