小説 川崎サイト

 

鈴の音

川崎ゆきお


 これは一種の流行なのだが、知らない人は、一寸気になる現象だ。特にこの町に引っ越して来て間のない人には……。
 漫画家の木下はまだほんの少しだけ古い街並みが残っているボロァパーに引っ越した。最寄り駅からは遠いのだが毎日出かけるわけではないので、気にならない距離だ。その分、家賃が安い。
 仕事は深夜にする。借りた部屋は二階で、窓際に椅子を置いている。すぐ右が窓で、いつでも下の風景が見える。ただ、夜なので見るべきものはないのだが。
 それは最初、目からではなく耳から来た。チリーンと聞こえた。漫画原稿に集中しているため、数日は聞こえなかった。また、ラジオをつけっぱなしにしているため、外の音はあまり聞こえない。夏場なら窓を開けのだが、まだ冬が続いている。カーテンも当然閉めている。
 さて、そのチリーンだ。
 気になりだしたのは、朝方、寝ようとし、ラジオを消したときだ。それ以前にも聞こえていたのかもしれないので、やっと気付いたのだろう。
 鈴の音のようだ。最初は何か虫でも鳴いているのだと思っていた。部屋が静かになると、外の音が聞こえる。そのチリーンは移動している。音の方角が徐々に変わっていくのだ。そして、徐々に小さくなる。そしてまた、聞こえだし、また、大きくなり、そして消えていく。
 これが実は流行なのだ。チリーンが流行っているのだ。
 ここからはローカルな話で、どの町でも起こっていることではない。
 これをやっているのはお婆さん達だ。夜参りと朝参りがあるらしい。つまり、お地蔵さんや小さな祠などを巡回しているだけのことなのだが、杖を持っている。これが先ず流行だ。その杖のストラップに鈴を引っかけているのだ。杖は巡礼が持つ本格的なものではなく、樹脂製だ。軽いためだ。ホームセンターで売っていそうな伸び縮みのする、あれだ。
 夜参りは寝付けない人が廻っている。この町内に数人いる。眠り参りと称して、効くらしい。一度しっかり起きないといけないが、戻ってきてからは一気に落ちるらしい。
 その鈴の音を聞いた同じように眠れないお婆さんやお爺さんが、ああ、あの人も眠れんのかと思い、自分もそうだ。よし、自分も眠り参りに行こうかい。となる。ただの不審者、徘徊者と思われないために、鈴付きの杖がアイテムとして機能するわけだ。
 木下が朝方聞いたのは超早朝参りだ。
 お年寄りが早く起きすぎたのだ。朝食にはまだまだ間がある。ラジオでは浪曲や宗教番組を流している時間だ。さらに早く起きた年寄りは、若者向け番組を聴くことになる。
 早起きしすぎた組は、この朝参りに出る。ただ、冬場はまだ暗いのだ。それで、鈴を鳴らす。熊よけではないが。
 鈴は呼び合う。自分以外にも早起きしすぎた人がいる。そのことを鈴で知る。
 木下はその朝のお参り組の鈴を聞いたわけだ。そして、カーテンを開け、硝子窓から下を見ると、杖をついた老婆が歩いている。一人通ると、さらにまた通る。
 最初は気色悪かったが、そういう巡礼があることを知り、何ともなくなった。
 最近では、朝参りの鈴が聞こえ出すと、もう寝る時間だと思うまでに至った。
 
   了


2013年3月16日

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