小説 川崎サイト

 

老木の下で

川崎ゆきお


 街道沿いに草むらがあり、そこに一本の巨木が立っている。その木の根に老人が尻を置いている。街道を見ているのだろうか。街道からもその老人はよく見えるが、まず最初に目に入るのは巨木だ。まるで傘のような枝葉で、雨の降る日は雨傘になり、陽射しの強い日は日傘になる。老人がその木の下にいるのは、凌ぎやすいためかもしれない。
 その街道を若き旅人が歩いている。ローカルな街道なので、それほど行く交う人はいない。
 若者は最初に巨木を見た。やはり目立つのだ。そして、その下の老人が、こちらを見ている。
 若者は顔を老人に向けていた。そのため、老人は旅人から見られていると確認した。もし若者が顔を向けないで、横目で見たのなら、問題はなかった。なぜならその距離からでは目の玉までは見えないからだ。顔を向けるとはそういうことだ。
 しかし、若き旅人はその老人に顔向けできないような事情があるわけではない。巨木を見ただけなのだ。老人を見たのはついでのこと。しかし、そのついでが誤解を招いた。
「おーい。そこの旅人さん」
 来たなーと若者は思ったが、まあ、一息入れたかったところなのでそれに乗った。
 そして、老人が尻を置いている木の根の横に座った。
 こういう接触は、マラソンでの給水所のようなものだ。木の根なので茶店ではないため、無料だ。
「ここから先はどんどん草深くなるが、何か用事かな」
「いえ、修行中の身で、諸国遍歴をしております」
「ああ、それはご苦労様」
 老人は腰の袋から焼き餅を出した。小さな団子だ。
「まあ、お一つどうぞ」
 老人は自分の分も一つ取り出し、先に囓る。これは作法のようなもので、毒は入っていませんよと証明するようなものだ。
 若者は焼き餅を囓った。餅米と普通の米を混ぜてついたタイプだ。米粒が少し残っている。
「硬いですねえ」
「これぐらいの硬さでないと、潰れるし、袋の中でくっつくんじゃ」
「でも塩味がちょうどで美味しいです」
「そうか」
 老人は紙を取り出し、その焼き餅を三つほど包んだ。
「まあ、持っていきなされ。次の宿までまだまだ遠い」
「この近くの人ですか」
「ここは小さな村でな。旅人が泊まるような宿はない。皆さん通過していくだけの村じゃよ」
「ああ、なるほど」
「諸国行脚ですかな」
「はい、そうです」
「若いときは……」と言いかけたとき、洒落た言葉や教訓が見つからないのか、そこで留めた。
「若い頃の苦労は買ってでもせよと言います」若者が先に切り出した。
「ああ、そうそう。それなんだ。それ」
「はい」
「しかし、せんでもよい苦労も多かったかなあ。わしの場合」
「ご老人も若き頃は諸国を」
「いやいや、わしの場合は修行と言うより、おなごじゃよ。おなご」
「女性ですか」
「好きでなあ」
 老人はこのとき、非常に仕合わせそうな笑顔を見せた。
「いいおなごがおらんかと、うろうろしたものよ。それを楽しみにいろんな所へ行ったかのう」
「修行はなさらなかったのですか」
「ああ、それはまあ付録でなあ」
「はい」
「目的もなしにううろうろ出来んじゃろ。おなごを追いかける。おなごを探す。これが目的じゃ」
「はい。それでよき女性は見つかりましたか」
「まあなあ。しかし、酷いときもあった。危ないこともあった」
「今は、この村で落ち着かれたのですか」
「まあ、そうじゃ。この年でもううろうろ出来んからのう」
「何か、ご指導を」
「ああ……」老人は何か洒落たことを伝えようとしたのだが、普段からそんな言葉を繰ったことがないので、すぐには出てこない。
「あああ」
「はい」
「若い頃は買う方が安全じゃ」
「はあ?」
「いや、何でもない。何でも」
 老人は焼き餅をボリボリと囓りだした。
 
   了

   


2013年3月17日

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