自転車の影
川崎ゆきお
百円ショップの自転車置き場で、竹田は影を見た。よく晴れた冬の終わりの暖かい日だ。その影の本体は自転車だ。一台だけぽつんと端に置かれている。その背後はブロック塀。それに並行して止まっていた。竹田から見ると、自転車の真横が見える。陽射しはほぼ真後ろから射している。多少左側だろうか。そのため、影はやや右側に流れているので歪んだ自転車に見える。
竹田は影を見たあと、自転車を見た。何でもないママチャリだ。影もその形をしているのだが、デザインの違いを影が吸収するためか、自転車一般として見えてしまう。
それよりも、なぜ影を先に見たのだろう。それは空いている場所を見るため、下を見ていたからだ。
しかし、よくすいており、何処にでも止められる。そのため、駐輪場の一番入り口に止めた。
自転車置き場で自転車を止める場合、特に何かを見ているわけではない。空いている場所を探すだけでよい。その他は視界に入っていても、特に危険なものを認識しなければ、見なくてもいいようなものなのだ。目の使い方としては、それほど難しいものではない。それで余裕があるので、影を見たのだろう。
その影を見ながら、自転車はこんな形をしていたのかと、改めて竹田は思った。しかし、その影の本体を見ると、それほどでもない。影の方が美しいのだ。
光があるので影が出来る。これが曇っている日なら、影など出来ないだろう。
その光を抽象的なものに持ち込むとややこしくなる。人生の光と影……とか。
影と闇とは違う。昼間に闇はないが、影はある。そのため、闇の中では影はない。まあ、全部が影のようなものだが。
竹田は百円ショップの階段を上がる。建物内なので、太陽光から蛍光灯の明かりとなり、しっかりとした影を結ばない。
そして、品物を探したり、選んでいるうちに、もうあの自転車の影のことなど忘れている。
その影について、深く探索するか、浅く観賞するかは、自由だ。ただ、実体よりも、影のほうに本来のものが映し出されているのではないかと、余計なことを考えるのは勝手だ。あの自転車の影は、余計なものを削ぎ落としたような形をしている。かなりのものを消している。ぺらっとした一枚の下敷きのように。つまり、影絵の世界だ。
もし本体よりもより実体を表しているとすれば、単純化されたものの分かりやすさだろうか。
竹田はここから真理を引き出そうとしたが、その影が教えてくれているものは、真理の影を見よと言うことかもしれない。
そして、買い物を終え、自転車を出すとき、その影は視界に入っているはずなのだが、もう見ていなかった。
了
2013年3月19日