小説 川崎サイト

 

非公認な散歩

川崎ゆきお


 今日も昨日と同じで、特に何もしないまま一日が終わろうとしていた。小西はそれを気にした。少しでも何かを進めたいところだが、釣りで言えば坊主状態が続いている。
 また、大きなことは出来ないが小さなことも出来ない。それなら中程のことは出来るのかと言えば、それも出来ていない。小さなことが出来ないのだから、それを積み重ねて出来るところの中程など無理なのだ。
 しかし、小西は気付いていないのだが、コツコツとやっていることがある。その一つが散歩だ。
 これは、何もやっていない、していない、ということの副作用かもしれない。やることがない、またはやる気がないため、部屋にいても仕方がない。それで、ぶらりと散歩に出るようになったのだ。
 その散歩行為は小西が思うところのやるべきことではない。何かをなしたことにはならない。だから、それは無視している。しかし、実際には捗っているのだ。まあ、散歩なので、歩が進むので、捗るわけだが。
 それに気付かないのは意味がないからだろう。つまり有意義なことではない。だから、何もやっていないと思ってしまう。
 小西にとり、散歩は何もやっていない状態なのだが、実際には体を動かしている。さらに色々なものを目にし、それなりに刺激を受けている。これは非常に緩いのだが。
 ただ単に歩いているだけでは暇なので、カメラを持ち出した。ちょうど春先で植物の勢いがよくなっているでそれを写している。枯れ野に雑草の緑が多くなった。色目が変わってきている。色とりどりの花もよく見かけるようになる。それらをカメラで写すのが日課になってきた。
 これは小西にとり、まだまだ枠外なのだ。メインの行為ではないため、サボっているだけなのだ。
 ニュートラルという言葉がある。これは中間でも中庸でもない。まだ何も決まっていない状態だ。浮いた状態なのだ。
 しかし、長く目的のメイン通りから離れていると、この浮ついた状態も悪くはないと思い出す。
 しかし、小西はその境地にまでは達していない。やはり目的を作り、それに向かうという筋道でないと安定しないらしい。
 また、自然を愛で、ナチュラルな暮らしを送るということも臭いらしい。わざとらしいのだろう。
 それで本当は認めてはいけないのだが、非公認で散歩を楽しんでいる。
 
   了




2013年3月24日

小説 川崎サイト