小説 川崎サイト

 

感情

川崎ゆきお


 どのくらい前のことが感情として残っているのだろうか。
 竹田はそれについて考えてみた。こうして考えているときの感情のようなものは、おそらく数時間で消えるのではないか。そんなことをいつまでも感情的に覚えているとすれば、頭の中が忙しくて仕方がない。二つ三つのことを同時に言われると頭が混乱し、それをとどめおくにはそっと頭を動かさないと、こぼれてしまいそうだ。
 感情としての記憶はかなり長く保たれると言われているが、常に頭の中で常駐するほどでもない。
 竹田は昨日何があったのかを思い出せるが、そのとき感じたことを、今ここで再現させようとすると、やや鮮度が落ちる。旬のうまみがない。悪いことなら、その方が好ましいが。
 ただ、かなり前の感情がどんどん発展し、その時よりも感情度が高くなっていることもある。意外とそういうことは、その時は何ともなかっても、後で効いてくることがある。
 これを後変換と竹田は呼んでいる。そして、後で効いてくるタイプは意味と関係する。意味にもいろいろあるが、特に存在を脅かすような意味が含まれると、かなり効く。
 それらは竹田が思っていることなので、一般性はない。まあ、誰かに伝えようとする気がないことなので、問題はない。
 思いついたときにやるというのも感情に旬があるためだろう。間が空くと、もう出来ない。感情的な押し出しがないためだ。それを後日出来るとすれば、意味が含まれているためだろう。大事な意味が入っているので、やらないといけないと思うからだ。つまり意味から感情を発生させる。だから、感情は忘れても、意味を覚えていると、そこからいつでも感情というエネルギーを取り出せる。ただ、その意味は状況により変わるので、しっかりと固定したものではない。
 竹田が感情について考えたのは、以前のことを書き残しておこうと考えたためだ。すると、昔の感情ではなく、今の感情で塗り替えられることに気付いた。つまり、コピーできないのだ。
 そして、古い日記を引っ張り出してきて読んだが、何を考えていたのかは分かるが、どんな感情だったのかがぴんとこない。まあ、そういった書き物は、書いたときの勢いもあるので、感情をそのまま書いたとは思えない箇所もある。また、感情を隠している文章もある。あえて違う感情を書いているのだろう。
 感情はやはり賞味期限がある。ただ感情がなければ、人は何も出来ない。
 そして、竹田の結論だが、自分の感情をじっと観察するのはよくないことがわかった。それはどうしてわかったのかというと、感情でだ。
 
   了
   



2013年3月30日

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