小説 川崎サイト

 

山桜の怪

川崎ゆきお


 これは桜の幽霊なのだが、目撃者はほとんどいない。また、それを見たとしても、幽霊だとは気付かない。
 その桜の幽霊は山桜で、過疎の村の里山で咲いている。村人そのものが少ない。だから、目撃談も少ないのだが、気が付く人には付くはずだ。または忘れているかだ。さらにそのことを知らない村人もいる。
 何を忘れているのかというと、枯れたことだ。だから、もうその桜の木はない。以前誰かが植えたものだが、何のために植えたのかは今となっては分からない。これは村にある石仏にも言えることで、何かのために石仏を彫り、そこに置いたのだが、そのゆわれが失われている。
 あるはずのない桜の木、それが桜の季節に咲く。里からもそれが見える。村人も見ているはずなのだが、「ああ、桜が咲いているなあ」程度なのだ。これが樹齢の長い名木なら意識的に見るだろうが、桜は里にも無数あり、山際にも結構ある。だから一本や二本増えたり消えたりしても目立たない。また、春になるとほかにも花を付ける木があり、桜だけが際だって見えているわけではない。
 この目立たないというのが、幽霊桜の存在感を薄めている。せっかく幽霊となって出ているのに、気付いてもらえないのだ。それ以前に、まだ生きていると勘違いされている。
 その桜が数年前に枯れたことを話題にする村人はいない。だから、怪談の下地が出来ていないのだ。そういうところに幽霊となって現れても効果はない。
 この幽霊桜、葉桜になるまで場を持たせている。そして、新緑で緑が多くなる頃、フェードアウトする。このときも、桜が消えたというような印象を残さない。周囲の緑の中にとけ込むためだろう。
 誰も見ていないことは、何も起こっていないことになるのだが、人知れず起こっていることは他にも色々とあるのだろう。
 
   了




2013年3月31日

小説 川崎サイト