小説 川崎サイト

 

お化け電柱

川崎ゆきお


 普段意識していないことを意識し出すと、気になるものだ。たとえば息の仕方とか、歩いていているときの歩幅などだ。
 疲れているとき歩幅が狭くなる。長い距離を歩いたり、また体調の悪いときは足の出も悪く、その一歩の幅も大人しい。それでも急いでいるときはその限りではない。用事に意識が行っているので、歩幅などは気にしていない。それで普段より体力を使い、ハアハアとなる。用事を果たせばそれまでのことで、歩幅や息のことなど、もう忘れている。
 田村は何かが気になると、そればかり気にして、妙なことになる。ただ異常と言うほどではない。そのため、奇行に出るようなこともないのだが、精神状態はよくない。
 電信柱の形が気になり出すと、そればかり見ている。たまに見る電柱のため、以前とは随分と違っている。昔はそんな形をしていなかったのだろう。さすがに木の電柱は見かけなくなったが、同じような柱でも、そこに付いているものが違っている。
 田村は普段から電柱を見ているが、仰ぎ見るようなことはしない。用事がないためだ。ただ、遠方にある電柱はたまに見る。しかし電柱だけを見ているわけではない。屋根や空や樹木と一緒に見ている。
 遠方の電柱が目立って見えるとすれば、周囲に見るべきものがないときだろうか。手前に何もなく、背景は空だけ、とかだ。このとき「見てくれ」とばかり電柱が飛び出して来る。
 それを見たとき、久しぶりに見る電柱なので、様子が違っていることに気付く。金属製の何かが昔よりも多く飛び出しており、それが二段三段と継ぎ足されていることもある。よくあるただの電柱なのだが。
 さらにボリュームのあるケーブルが垂れ下がっていたりする。これは電話線だろうか。線ではなく結構ボリュームのある塊だ。黒かったり白かったりする。カバーだろう。
 それで田村はしばらくの間は電柱ばかり意識しているのだが、最初の発見からしばらく経つと慣れてくる。驚きや意外性がなくなる。すると、意識から遠ざかる。それでも目には入っている。だから、見なくなったわけではない。
 昔の話だがお化け煙突があった。見る角度により、本数が変わるのだ。何処かの工場地帯だろう。
 煙突の数は少ないが、電柱の数は多い。街中で電柱だけを抜き出してみると、かなりの本数だ。その中にお化け電柱も当然混ざっているかもしれない。立ち枯れの木のように、用をなしていない電柱や、花魁のように簪を付けすぎた電柱等々。
 
   了




2013年4月13日

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