小説 川崎サイト

 

見ていない

川崎ゆきお


「チューリップが咲いてますなあ」
 散歩中の老人が、いつも見かけるもう一人の老人に話しかける。
「ああ、そうですかあ」
「昨日は咲いてませんでしたよ」
「何処です」
「すぐ足元ですよ」
「ああ」
「赤いの、白いの、黄色いの。こんなに目立っているんだから、気付くでしょう」
「気にしてませんでしたから。花は」
「じゃ、いつも何を見ているのですかな」
「ああ、特にありません」
「今日はよく晴れ、暖かくなった。だから咲いたのでしょうなあ。ご覧なさい。空もよく晴れ、雲一つない。あ、あそこにありますが、あれはまあ、無視して」
「よく観察していますねえ」
「目に付きますよ。自然に」
「なるほど」
「その川の底を覗いてみて下さい」
「川」
「そこに川があるでしょ」
「ああ、橋がありますからねえ」
 二人は橋の中程から川底を見る。
「水かさはいつもより多いです。昨日雨だったためでしょうなあ。いつもあのブロックの一段目あたりで、歩いて渡れるほどの浅さですが、今日は膝までとはいきませんが、少し深い。これは足を取られます。ただ、流れは強くないです」
「なるほど」
「あそこの家」
「はあ?」
 老人は指出す。
「どの家ですかな」
 川岸に家が並んでいる。
「茶色い塀があるでしょ」
「ああ、ありますなあ」
「あれはそろそろペンキの塗り替え時期なんですよね。はげてます。ところどころ。さて、いつ塗り替えるかですなあ。もうソロソロだと思いますよ。明日かもしれないし、もしかすると今かもしれない」
「よく観察していますねえ」
「毎日このコースを歩いているためですよ。自然と目に入る」
「なるほど」
「で、あなたは、何を見てます」
「ああ、特に注意して見ていませんが」
「そうじゃなくても、目に入るでしょ」
「入っているのでしょうなあ。しかし、意識して見ていないので」
「じゃ、私が見過ぎているとでも」
「いえいえ、そういうことじゃありません」
「この橋に、たまに不法投棄のゴミ袋なんかが置かれています」
「ああ、そうですか」
「あなたも毎日、この橋を渡っておられるのでしょ。私は知ってますよ」
「違います。僕じゃありません」
「そうじゃなく、あなたがこの橋を毎日渡っておられるのを知っていると言っただけですよ」
「ああ」
「見かけませんでしたか」
「ゴミですか」
「そうです」
「ああ、見かけたような、見かけなかったような」
「おかしいなあ。私だけが熱心に、そんなものばかり見ているのでしょうか」
「そんなことはない。だって、自然と目に入るのでしょ」
「しかし、あなたは見えていない」
「見えてますが、気付かないだけですよ。特に変化はないですから」
「チューリップが咲いている。これって昨日はなかった。凄い変化じゃないですか」
「まあ、花は咲きますからねえ。特に不思議なことじゃないし」
「あなた、毎日、この時間にお見かけしますが、あなた私のこと覚えていますか」
「覚えていますよ。よく見かけますから」
「そうでしょ。それと同じですよ」
「ああ、なるほど」
「失礼ですが、お名前は? 私は谷川ともうします」
「僕は高岡です」
 二人はここで別れた。
 そして、高岡は二度とその散歩コースには出てこなかった。ただし、それは谷川からの観察で、時間帯を変えたのかもしれない。
 
   了





2013年4月15日

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