ある世界
川崎ゆきお
いつも見ているものがその人の世界になるのだが、世界とは何だろう。
竹田はよくこの「世界」という言葉を使う。何となく使っているだけで、特に意味はない。だから竹田の世界の中に、この言葉としての「世界」があるのだろう。
では竹田はこの「世界」という言葉をいつ頃から使い出したのだろうか。それはよく思い出せないようで、何かのきっかけで、この言葉を導入し、取り込み、そして普通に使っている。竹田にとっては普通だが「世界」という言葉は大きい。日本地図より世界地図が、日本史より世界史の方が大きいように。ただ、竹田の場合、そういう大きさとは関係がないようだ。ある範囲という程度だろうか。または枠のようなものだ。これは竹田の誤用かもしれない。そのため、人前ではあまり「世界」という言葉は使わない。だいいち世界が話題になるようなことは滅多にないからだ。
「ここにも世界がある」と、竹田はよく呟く。自分の部屋の中は自分の世界だ。そして、その片隅の本棚も、また一つの世界だ。そして一冊の本にも世界がある。これが竹田の認識のようだが、かなり大げさだ。それを言い出すと畳の目にも世界があり、さらに顕微鏡で覗くと、色々なものが入っているだろう。さすがに微生物の世界までは意識しないが。その微生物が竹田と関係してくると、微生物世界が浮かび上がる。
しかし、それらの世界は地続だ。そうでない世界もある。精神世界だ。
精神の世界とは何処にあるのだろう。これは手にとって触れないし、みんなで一緒に見るようなことも出来ない。なぜなら心の中の世界のためだ。しかし似たようなものを見ているのだろう。精神世界と言うより、想像の世界かもしれない。
世界ほど大げさではないが、業界とか界隈とかもある。業界は仕事などで区切られているのだろう。または作業など。界隈は、街中にある場所だろうか。「この界隈の人」という意味に近い。
結界となると、いかがわしく神秘的になる。魔界となると、かなり遠い。そこまで離れるとフィクションだ。しかしこれもある状況が魔界のように感じられることもあるので、成立しないわけではない。
精神的にきつい場合、この魔界の扉や蓋が開くのだろうか。
人というのは色々と想像する。竹田が思っている「世界」もその一つにすぎない。
ただ、あるのかないのかよく分からないが「ある世界」という言い方は好きなようだ。
了
2013年4月19日