小説 川崎サイト

 

直感

川崎ゆきお


 幽霊ではないが目には見えないが感じられることがある。他の人には見えなく、自分だけが視覚的に見えるとすればそれはおかしなことになる。本人だけが分かる世界だ。これがもし、もう一人でもいいから同じように、同じものが見えているとなると、話は別だが。
 複数の少数の人には視覚的に見え、大部分の人には見えていないとなると、これは面倒だ。それはあるかもしれない。
 ところが本人に見えていないのだが、感じとして、それがある場合、話は狭くなる。それだけに安全なのかもしれない。
 それは感性で見ているのだろう。実際には見えていないので、目玉では見ていない。さらに脳で写されているわけでもなさそうで、視覚化されていない。これを勘とも言う。しかし勘違いも多い。
 この勘はきな臭いものを何となくかぎ分けるような能力だ。自動認識かもしれない。反射的なものだろう。
 増田は、その能力を子供の頃までは持っていた。十代中程で衰えた。今はそんな勘は働かない。だから物事を選択するとき、分からなくなると雰囲気で選ぶが、それはあの観ではない。
 その雰囲気はどこから来るのかというと、増田の物語の中から発生する。自分にふさわしい物語かどうかなのだ。ただ、自分の物語だといっても、テーマやポリシーがあるわけではない。既成事実の積み重ねにすぎない。そのため、アンチテーゼ的な、自分が捏造したいテーマとは真逆のものを放り込むこともある。その方が引き立つためだ。異質なもの入れると騒がしくなる。ドラマチックになる。
 これは刺激を求めての悪戯のようなものだ。そこから打開策が生まれるかもしれない。
 直感力は子供のころほどではないが、まだ少しは残っている。それは、ほとんど疑わないで、すんなりと選べることがあるためだ。さも当然のように。だからここでは思考はない。
 ただ、これもパターン化されたものから発しているのではないかと疑うこともあるが、最近はそういう詮索が面倒になった。なぜなら何を選んでもそれほど変わらないからだ。
 しかし、ここでも自動化されたものがあるようで、絶対に選ばない、または候補にも入れないものがある。選択以前の段階で、振り落とされているのだ。
 そこに増田の物語としての新境地、新領域があるのだが、遠い。
 おそらくそこに到達するには、長い道のりを要する物語と付き合わないといけないだろう。
 そして、増田は選択しなかったもの、選択外のものと、何処かで巡り会えることを密かに願っている。
 
   了

 


2013年4月25日

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