小説 川崎サイト

 

会釈

川崎ゆきお


 前田は自炊しているので、たまにスーパーへ行く。そこで見知らぬ人から挨拶を受けた。会釈だろうか。笑顔を送ってきた。最初は誰だろうかと頭の中で検索した。近い人はいるが、年が離れすぎている。
 こちらは覚えていないだけで、相手はしっかりと覚えている人かもしれない。
 前田はその笑顔に対し、笑顔で返した。そのまま接近し、交差した。このとき、言葉はない。もう挨拶を交わしたので、用件は終わったのだろう。
 そういうことが二ヶ月に一度ほどあった。前田はそのスーパーへは週に一二度行く程度で、時間帯もばらばらだ。それにスーパーは広い。その相手が近くにいても、気付かないだろう。
 二回目に出合ったときは、躊躇なく会釈した。相変わらず言葉はない。だから、その程度の関係なのだろう。知人の中にも、そんな距離感の人が多い。たとえば近所の人で、顔だけは知っているような人だ。
 三回目も、同じ状態だったが、四回目の遭遇とのとき、相手からの会釈はなかった。目と目は合っている。だから、前田は笑顔の用意をしていたのだが、それは返し専用で、笑顔が来てからその顔を作ろうと思っていた。しかし、相手は無反応で、目は合ったもののすぐに相手から先に逸らせた。
 その人との関係が悪くなったからではない。なぜなら、このスーパーでしか合ったことがなく、また挨拶程度の関係のためだ。
 前田は、これはどういうことだろうかと考えた。
 間違っていたことに気付いたのだろうか。つまり、その人は前田を別人と勘違いしていた。ところが、そうでないことが何となく分かった。あるいは「この前、スーパーで合いましたね」などと、その人の知っている前田によく似た相手と話したのかもしれない。「あのスーパーへ行ったことはありません」などと答えたのだろうか。それで、人違いだと思い、挨拶を抜いた。笑顔も抜いた。そして何もなかったかのようにすれ違った。
 さて、次に出合ったときは、もうその人との視線は合わなくなった。相手が合わさないためだ。
 しかし、それからしばらく経った後、またその人と出合った。今度は視線が合い、相手は笑顔を送ってきた。前田も慌てて笑顔を返した。
 そうすると、前田の推測を修正しなくてはいけなくなる。
 やはり、その人が知っている前田と、スーパーで合う前田とは同一人物で、その人の勘違いではない。いや、勘違いなのだが、その人にとっては同一人物なのだ。
 そして、挨拶を交わさなくなったのは、もう一人の前田との仲が悪くなったため。だから、その間は無視したわけだ。そして、その期間がしばらく続き、やがてその仲が修復したのだろう。だから、スーパーで出合っても笑顔で挨拶が出来るようになった。
 いずれにしても、前田はその人のことを知らないままなのだが、今となっては、知っている人になる。ただし、言葉を交わし出すと、別人であると気付かれるだろう。
 ただ、その人と勘違いされている相手との関係は、それほど親密なものではないことは確かだ。なぜなら会釈から先はないのだから。
 
   了

 


2013年4月27日

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