「そういうこともあったかなあ」
牧田はポツリと呟いた。自分に聞かせるための台詞だった。
「何か言いました?」
バイトの芦原が聞く。
「いや、なんでもないよ」
「牧田さんの独り言、いつも声大きいですねえ。やっぱり現場で鍛えた声ですか」
「よく通るだろ」
「はい、遠くからでも聞こえますよ」
牧田は唐揚げ定食を急いで食べ出した。
「急ぎます?」
「ゆっくりでいいよ」
牧田はテレビが気になるのか、何度も顔を上げる。定食屋のテレビは高い位置にあるためだ。
「すげえ家だなあ。天守閣みたいだ」
テレビで有名タレントの屋敷が写されている。木造四階建てで生け垣が広い敷地を囲んでおり、庭は田植えが出来るほどの広さだ。何かの遺跡を復元したような趣だ。
屋敷の主が室内を案内している。外見は木造船か巨大な納屋のような素朴だが、内部は高級家具が並び、意外とモダンだ。
牧田は、その主を知っていた。彼が四畳半のアパートで暮らしていた頃、よく遊びに行った。
彼は劇団の先輩だった。
芦原はカツ丼を食べ終えた。
「まだ、行かなくてもいいんですか。日暮れまでに終わらせたいですよ」
牧田はずっとテレビを見ている。
「タイル屋、なかなか来ないですねえ。それに合わせますか? だったら急ぐことないですから」と葦原が言うが、牧田は反応しない。
テレビでは書斎が紹介されていた。彼の著書は何十冊もある。
「ゆっくり見ていてくださいよ」
芦原は携帯でメールを打ち出した。
牧田も成功していたら、あんな暮らしぶりだったかもしれない。
「芦原君、将来何になる?」
「ずっとバイトでいいですよ」
「成功したいとは思わないの?」
「苦労するのは嫌だな」
「悪い夢は見ないか」
「はい」
「行くか」
「いいっすよ」
牧田は鉄柵を積んだ車に乗った。
了
2006年10月12日
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