小説 川崎サイト

 

楽しさ

川崎ゆきお


 苦しいとき、辛いときは楽しいことを見つけ出し、それを実行する。それはいいのだが、それを実行できない人がいる。性分だろう。
 そういうことは人に教えられなくても、何となく自分の方法を知っている。自覚していなくても、そういう構え方をしているのだ。
 苦しいとき、楽しいものを見出し、それを楽しむ。これはいいのだが、それが出来ない人の言い分がある。これは経験によるものだろうか。
 大西もそれが出来ないタイプで、過去何度かチャレンジしたのだが、失敗に終わっている。苦しいときに他のことで楽しめても、心から楽しめない。こんな状態で楽しんでいる場合かと思う。また、ここで楽しんだお返しが何処かで来ている。あの時、余計なことをするより、ずっと苦しんでいたほうがよかったのではないかと。
 苦しさが消えるとほっとする。このときの楽しさは、楽しいというより、苦しさが消えたことへの喜びだ。全部消えなくても、良い方向へ向かっているだけでも気持ちが明るくなる。
 大西はこれは何だろうかと考えた。幸せよりも不幸にならないことのほうがいいという発想だろうか。
 これは主義主張ではなく、性分だと大西は考えている。そのためか、大西は楽しむのが怖い。
 楽しむと損をするわけではないが、積極的に見出してまで楽しもうとは思わない。そんなことをしなくても、瞬間的にだが、楽しいことは起こっている。狙わなくても。
 ただのこの場合の楽しさとは、苦しくない程度だ。お殿様が「苦しゅうない」と言っているようなものだ。
 ただ、苦しくないからといっても、楽しいことだとは言わない。
 どちらにしても、これは大西の性分で、生まれついての傾向や、その後の経験などから出てくるもので、計画的に作ったものではない。
 大西はいつも不機嫌な顔をしている。元々そういう顔なのだ。これで笑うとかなり不気味になる。だから、不機嫌が似合っている。それが標準の表情なのだ。そして、それは作らなくても、そうなっている。
 そのこともあるし、また、物事を楽しむほどの余裕もない。ただ、たまに楽しいことは向こうからやって来る。それだけでも十分だ。そのための仕掛けなど何もない。だから、たやすく楽しさを得られる。
 ただし、それが普通の人が思っているような楽しさとは少し違うかもしれないが。
 
   了



2013年5月7日

小説 川崎サイト