小説 川崎サイト

 

危機コレクター

川崎ゆきお


 上手く行っているときは逆に危ない。上手く行っていないときは、その状態そのものが危ないので、危なさに対して身構えている。
 その危なさが去った状態が上手く行っている状態ということになるのだが、これでは何をやっても危なさからは逃れられない。
 ただ、上手く行っているときは危なさを少し忘れている。だから油断があるのだろう。しかし、危なさからやっと逃れられたのだから、ほっとしてもいいように思う。
 逃れた危なさではなく、新たな危なさ、違う種類の危なさが浮上してくるかもしれない。それは油断ではなく、何が出てくるのかが分からないため、身構えられない。
 危ないときは、何が危ないことなのかが分かっている。だから、身構えやすい。
 やっと危機が去っても、すぐに次の心配をしているとなると、休めない。やはりここは一息つきたいだろう。ただし一息で、僅かな時間だろう。
 未来の危機を予測するのはいいのだが、これはただの心配性かもしれない。いつも危険な状態にいないと逆に安心できなかったりするのだろうか。
 山田はそんなタイプの人間だ。そして朝、目を覚ましたとき、何が危険なのかを思い出す。寝起きなので、まだ頭が回っていないのだ。そして、徐々に昨日心配していたことを思い出す。複数あったので、今日はどれにしようかと探さなければならないほど多い。もう完全に遠ざかった危機は、さすがに忘れてもいいのだが、いつそれが芽を吹き返すかもしれない。だから、完全には忘れないようにしている。
 危機リストがあり、考えられる限りの危機を洗い出している。その方が安心なのだ。
 しかし、危機を広げすぎているのかもしれない。その自覚はある。何でもかんでも心配の種にしているのだ。そしてこの種は尽きない。つまり心配事コレクターだ。
 それで日常生活や仕事に支障が出ているわけではない。特に優れていないが劣ってもいない。よくあるような社会生活を営んでいる。
 ただ単に危機管理が好きなのだ。だからこれは趣味かもしれない。
 
   了


2013年5月16日

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