妖怪談
川崎ゆきお
博士、先生と呼んでも出てこないので、妖怪博士付きの編集者は案内もなく部屋に上がり込んだ。勝手知ったる妖怪博士宅。
「博士、大丈夫ですか」
妖怪博士が横たわっている。
「ああ、君か」
「大丈夫ですか」
「貧乏暇なしと言うが、暇で暇で仕方がない。それで寝ておった」
「貧乏神が取り憑いているのではないのですか」
「余計なことを」
「久しぶりに寄りました」
「そうじゃな、久しいなあ」
「お元気でしたか」
「だから、寝ておる」
「体調を崩して、横たわっていたのでは」
「それもあるが、寝るにも体力がいる」
「はい」
「まあ、しんどいときに寝込むより、元気なときに横になる方が気持ちがいい」
「ああ、そんなものですか」
「ところで、何か用事か。事件か」
「いえ、何もありません」
「そうじゃろ、妖怪が頻繁に現れて怪異を現すなどは、とんと聞かんからのう」
「そうです。だから先生のところにも依頼がない」
「まあ、そういうことじゃ」
「妖怪や幽霊、そして迷信などを文明開化の勢いで抹殺したのがいけなかったのだと思います」
「ほう」
「妖怪などいない、そのほとんどは錯覚だと」
「君は妖怪博士か」
「いえいえ、先日妖怪博士の本を読みました」
「私の本か」
「いえ、もっと前に妖怪博士、妖怪ハンターと言われた井上一円の本です」
「円本か? 赤本」
「違います。名前が一円です」
「それは、名探偵金田一円に近いのう」
「その一円先生の本がネット上にあるのです。そして、無料で誰でも読めます。」
「おお」
「ああいう本があるから、妖怪が死んだのですよ」
「ううむ」
「博士、何か意見を」
「寝ておったので、頭が回らん」
「妖怪は減りましたが、妖怪研究家はわんさと増えています」
「そうか」
「そうか、じゃないです。先生も頑張って、何とか」
「君は、博士と呼び、先生と呼ぶが、統一は出来んのかな」
「あ、どちらでもいいのでしょうが、何となく使い分けています。自然に先生となり博士となるのです。それで僕が思うに……」
「何を」
「ですから、妖怪の話です」
「呼び方の話ではないのか」
「違います。妖怪否定派が増えれば増えるほど、妖怪肯定派の値打ちが上がるのではないでしょうか。本当に妖怪が出ているのに、それまで錯覚として否定する。否定する方が正しいかのように。これはよくないと思うのですよ」
「そうだなあ」
「井上一円は、決して妖怪や怪異や幽霊を完全には否定していないのですよ。ここがポイントです」
「そうじゃなあ。錯覚してもらわんと商売にならん」
「はい、そうです」
「しかし、妖怪はおると言ってしまうと、世間の信用を失う」
「いいじゃないですか」
「根拠のない存在を肯定できぬ」
「じゃ、先生も妖怪否定派ですか」
「普通にはおらんだろう」
「普通?」
「おれば、教科書に載る。ニュースにもなる」
「ああ」
「その普通の網では捉えられん世界もあるのだろうなあ」
「一円先生は、それは哲学だと言ってました」
「形而上学じゃ」
「つまり、想像だけは出来ると言うことですか」
「だから、フィクションじゃな」
「じゃ、いないじゃないですか」
「心の中におる」
「それも一円先生が書いておられました」
「そうか」
「先生も、何か独自色で、新たな切り口で……」
「しかし、もう先人がやられておるのなら、それでいいではないか」
「博士、立ち上がって下さい」
「まだ、寝ておる」
「何かここでイノベーションを起こし、妖怪をソリューションしましょう」
「そう言うことが、そもそも妖怪的なんじゃ」
「これは、真っ当な行為ですよ」
「そんなマスターベーションなど、よろしい」
「イノベーションです」
「今の妖怪はそれだな、怪しげなカタカナ妖怪よ。イノだのソリだの」
「やりましょう、やりましょう」
「まだ、眠いので、もう一眠りする」
編集者は盛り上げようとしたが無理だったようだ。
妖怪博士は再び夢の中の人になる。妖怪は出てこなかったが路上に白い一円玉が落ちているのを見たようだ。
了
2013年5月19日