小説 川崎サイト

 

空気黄泉世界

川崎ゆきお


 空気が変わった。
 佐竹はいつもの喫茶店に入ったとき、そう感じた。先ずは体が感じた。
 暑くなってきたので冷房が入ったのだろう。いつもの空気とは違う。体が感じただけではなく、頭もスーとする。また鼻や喉などの呼吸も違う。
 空気を感じるとはこのことだ。
 佐竹はその場の空気が読めない人間だが、温度の影響を体で感じることは出来る。場の空気とは温度計の温度とは違うため、苦手だ。
 上司の表情が険しいときは、書類を持っていかない。それは眉間の皺で分かる。その皺が取れたとき、持っていく。この程度のことは佐竹でも心得ている。眉間の皺という合図が見えるからだ。これは空気を読んでいるわけではない。具体的なものを見ての判断だ。
 では、空気は何処で読むのだろうか。何らかの合図が出ているわけではなさそうだ。一対一なら何となく分かるが、これが複数の人間が集まっているときなどは難しい。
 特に何かを話し合っているときや、何らかの作業をやっているときだ。
 空気はその場だけの空気ではなく、それまでのいきさつなどが加わる。当然登場人物の特性もある。また、その場の雰囲気がある。これらは応用問題だ。そして、正しい解答を即座に導くことは至難の業だ。計算しきれない。だから、その全体を空気として読み取るのだろう。眉間の皺ではなく、様々なタイミングも見計らって。
 佐竹は空気を読みながら過ごすのは苦痛なので、安い社員食堂ではなく、その近くの喫茶店で高い昼を食べている。会社の人間がいないことでほっとする。こういう休憩が必要なのだ。
 そして、いつものようにカレーライスを食べる。生卵も付く。これはメニューにはない。客の誰かが生卵をカレーに入れていたので、そのことを店の人に聞くと、おつけしますが値段アップになりますと言われた。カレーだけでは滋養が心配なので、佐竹は値段アップは気にしなかった。その喫茶店のカレーはレトルトであることは間違いない。いつも同じ味なのだ。そして量も。さらにに小さなビーフが入っている。その肉片の大きさも数も、ほぼ同じだ。
 そういうことには気が付くが、見えないことが苦手なのだ。
 そのことを、同僚に聞いたことがある。すると答えは簡単だった。普通に、自然にしていればいいと。だから、空気など読もうとするからおかしくなるのだと。
 では、その場の空気をどうやって読んでいるのかと訊ねると、空気など読んでいないと答えた。
 では、どんな情報から、それらのものを得ているのかと訊くと、何となく、だそうだ。
 何となく。これが空気を読むということだろうか。
 しかし、佐竹にも思うところがある。それは空気読みの名人である先輩が、全く読めていないこともあるからだ。それで「今、こんなときに言うな」と上司から叱られている現場を何度か見た。空気を読み違えたのだろうか。いえ、そうではない。誰も空気など読めていないのではないか。
 少なくても、あの上司に関しては、佐竹の方が上手く行っている。例の眉間の皺だ。これさえ見ていれば、タイミングが分かる。
 しかし、空気を読むということは、眉間の皺を見ることではない。それに一対一ならそれはできるが、その場の雰囲気となると、何を見ればいいのかが分からない。ただ、顔の表情は分かる。これは具体的なので、空気ではないが、それでいいのではないかと思う。
 佐竹は生卵入りカレーを食べ終えた。これから空気読み世界に、また戻らないといけない。
 空気読み世界ではなく、空気黄泉世界ではないか。その黄泉の黄色は、卵の黄身を見て思い付いた。
 
   了



2013年5月23日

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