小説 川崎サイト

 

自転車鳴り

川崎ゆきお


 古い自転車に乗っていると、背後に気配を感じることがある。新しい自転車ほどそれがない。乗り古した自転車には何かがあるのだろうか。
 住宅地の狭い道を走っているとき、後ろから付いてくる自転車があるように感じる。これは気配でも、感じでもなく、自転車だろうと認識できるほど、しっかりとしたものが伝わってくる。つまり、音だ。
 いつの間にか後ろに自転車が来ている。スピードを緩めても追い越そうとはしない。逆にスピードを上げても付いてくる。
 ペダルのきしみや、咳払い、息遣いまで聞こえる。歩行者ではない。足音がない。
 おそらく自転車がすぐ後ろに来ているのだろうと思いながらも、振り返るほどのことではない。どんな人が乗っているのかを見たい気もするが、見てはならないものを見るような薄気味悪さもある。
 交差点で止まると、気配は消える。ここで振り返れば確認できるのだが、特に用事はないのだ。それよりも信号のない交差点を渡ることに集中する。
 その小道は、抜け道で、狭いのだが、多くの人が利用している。だから、つけ回されているわけではないだろう。
 道幅が少し広くなると、もう尾行自転車の音はしない。そこで安心して後ろを見ると、誰もいない。遠くにママチャリがちらりと見える程度だ。それに乗っている主婦を疑うが、すぐに否定する。なぜなら、老人のような咳払いがよく聞こえていたからだ。
 道は広くなり、やがて駅前に到着する。自転車も多くなり、もう特定出来なくなる。 
 これは、古くなった自転車で起こる現象かもしれない。実は「自転車鳴り」なのだ。
 荷台のボルトが緩んでいたり、強く漕ぐと伸びたチェーンが何かにこすれて鳴る。そして、車体に突き刺しているビニール傘が風を受け、音を出す。それらが混ざり合って、近くで音がするのだ。それが咳払いに聞こえたりする。自分が乗っている自転車が鳴らしているのだ。
 狭い道ほど、塀などに反響し、よく聞こえる。また、他の音も拾ってしまい、音質の種類まで広げてしまう。誰かが庭などで作業中の音まで尾行自転車の気配に加えてしまう。
 物が古くなると、物怪になるらしいが、何十年も乗り続けるようなことはないので、自転車が物怪になることは、年月的にも無理だろう。
 
   了



2013年5月27日

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