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妖怪博士と兵隊幽霊

川崎ゆきお



「厨房の人が行きますから、先生よろしく」という電話を妖怪博士は受けていた。
 そして妖怪博士宅玄関にその人が現れた。初老の小男で、分厚い瞼の下に大きな目玉、その間隔が非常に狭い。妖怪博士は「小豆洗い」という妖怪を思い出した。
 妖怪博士は連絡を受けていたので、その小豆洗いを座敷に通した。
「内閣厨房の者です。ことが事ですので、名乗れませんが、よろしいでしょうか」
「厨房ですか」
「厨房長です」
「コック長のようなものですかな」
「そう受け取って頂ければ有り難いです」
「それで御用件は」
「出ます」
「はい」
「幽霊が出る噂があるのです」
「厨房にですか」
「屋敷の方です」
「屋敷とは」
「洋館です」
「はい」
「兵隊の幽霊が出ます」
「兵隊?」
「幽霊退治の依頼ではありません。博士の意見を聞きたいのです」
「私は妖怪が専門で、一般的な幽霊は専門外なのですが、なぜわざわざ私のところへ」
「霊関係者に依頼すると、いるに決まっていますから」
「ああ、なるほど」
「その兵隊の幽霊なのですが、軍靴の音がしたとか、何かいそうな雰囲気がするとか」
「あなたも感じられましたかな」
「そう言えば、そうかなあという程度ですが」
「では、実際には誰もご覧になっていない」
「見たと言っておられる方もありますが」
「まあ、幽霊は見えたとか見えなかったとか面倒なものです。まあそれらをひっくるめて気配だけでも十分でしょう。しかし兵隊さんの幽霊が出るとすれば、世界中至る所で出ますよ」
「ご尤もな話です」
 小豆洗いは、たまに目をパチパチさせる。意外と睫が長い。
「妖怪博士のご意見を伺いたいのですが」
「私の」
「はい」
「と言われましてもですなあ……こういうものは、いるという人がいると、いるのです。その洋館がどんな感じかは存じませんが、おそらく幽霊屋敷と噂のある物件でしょう。すると、不思議とそれは出ます。どんな兵隊さんの幽霊かは知りませんが、その人と関わり合いのあるような建物でしょうねえ。それで関係づけて、誰かが言い出すと、そうかもしれない……となります」
「幽霊を見なくてもですか」
「はい、物音や、普通の人の動きなどを関連づけてしまうのですなあ。もしかして、とか」
「なるほど」
「それが錯覚であっても、それを誰かに話したときは、そうではなくなります」
「瓢箪から駒ということはありませんか」
 と、問いかけたあと、小豆洗いの瞬きの数が増えた。妖怪博士は半開きの目で、その表情を見逃さなかった。
「瓢箪、駒、ですか」
「そうです」
「どういうことでしょうかな」
「霊の話をしていると、霊が寄ってくるようなことはありませんか?」
「ん?」
「何か?」小豆洗いの瞬きが倍速となる。
「つまり、厨房長さん、あなたはまさか」
「その話ではなく、一般論でお願いします」
「つまり、まあ、つまりが多いですが、まあつまり厨房長さんがおっしゃりたいことは、誰も見ていない兵隊の幽霊の噂を何度も何度もやっていると、本物の兵隊さんを呼び出していることになると」
 小豆洗いは、自分の顔を洗うかのように顔をぬぐった。
「そういう例はあり得るのでしょうか」
「ないと思います」
「はあ」
「そんなことをやっていると、幽霊だらけになりますよ」
「そうですねえ」
「先ほど、厨房長さんが言い出されたことなのですが」
「何も言ってませんが」
「一般論ではないお話しです。幽霊が寄ってくる話ではなく、別の話があったのじゃありませんかな」
 小豆洗いは目を閉じる。しかし瞼が膨らんでいるので、それが目玉のようにも見える。ただ、黒目はないし、白目もない。
「見ましたか」妖怪博士はダイレクトに訊く。
 小豆洗いは黙っている。
「つまり、あなたは個人的なことで来たのですね」
「そうとも言えますが、参考までに知りたかったことなので」
「他にいなかったのですかな。その方面の専門家は多数おられる」
「それでは目立ちます」
「目立つ」
 確かに小豆洗いの膨らんだ目は目立つが、そのことではない。
 妖怪博士は、いつも来る編集者からの連絡で、この厨房長と名乗る初老の男から相談を受けている。
「いかがわしい雑誌を出している編集者君とはお知り合いですかな」
「知りません」
「ほう」
「紹介の紹介です」
「要するに、ほとんど目立たないところを経由して、さらに目立たない私のところまで来たということですな」
「まあ」
「著名な人では駄目なんですな」
「いえ」
「ご心配なく、決して他人に漏らすようなことはありません。それに私は妖怪の専門なので、幽霊のことは書かないことにしています。もっとも洋館に兵隊の幽霊が出るような話など、誰も相手にしないでしょう」
「洋館にもよると思いますが」
「はあ?」
「いえ、何でもありません」
「しかし、今のお話しから推測しますと、あなたも本物の兵隊の幽霊を見たことになりますが、どうなのです。先ほどは、あれがそうだったかなあ、程度でしたが、もっと確定的なのでは?」
 小豆洗いの瞬きが三倍速になる。
「あれは何でしょう」
「どんな感じでしたかな」
「夜中、ドアが開きました」
「はい」
「そして、すぐに閉まりました」
「はい」
「私は、誰だろうと思い、ドアを開け、廊下に出ました。誰もいません。廊下の窓や扉は閉まっています。風ではありません。すぐにドアを開けたため、もし誰かが間違ってドアを開けたとするのなら、その近くにいるはずです。壁や天井を見ましたが、それらしいものは見当たりません。警備員なら廊下にいたはずです。すぐに廊下を見ましたからね」
「そこは厨房長さんの部屋ですか」
「はい」
「昔、兵隊さんの部屋だったのですかな」
「違います」
「古い洋館ですよね。中華屋さんをやる前は何だったのです」
「中華屋?」
「だって、内閣の厨房長だと、あなた名乗りましたよ」
「あ」
「内閣という中華屋さんなんでしょ」
「そうです。そうです」
「洋館を店にした中華飯店内閣」
「はい」
「で、もう一度聞きますが、中華屋の前は何だったのですか」
「中華屋です」
「ああ、同じように中華を」
「はい」
「その前は」
「その前も中華屋です。最初から中華屋なのです」
「ずっと、内閣という店名ですか」
「そうです」
「兵隊さんが出てきますよね。これは日本の兵隊さんだとすると、戦前でしょ」
「そうです」
「何かあったのですかな」
「とある事件が起こりまして、兵隊さんが大勢……」
「あのう、それは長くなりそうなので、一般論でお願いしたいのですが、如何ですかな」
「願ってもないことです」
「要するに、亡くなられた兵隊さん一般の幽霊でよろしいですかな」
「はい」
「では、その幽霊とあなたは何の因果関係もない、つまり、一般的な幽霊屋敷ということでいいですかな」
「はい、お願いします。それで」
 小豆洗いの瞬きが少なくなった。
「では、結論に入りましょうかな」
「早いですねえ。相談には時間制限があるのでしょうか」
「ありません」
「私が見たのは幽霊でしょうか」
「見なかったのではありませんかな」
「確かに、見たのはドアの開け閉めとその音だけですが、それだけではありません。室内に何かまだいるような気配がありました」
「視覚的なものではないのでしょ」
「他の人の体験談によりますと、この兵隊の幽霊は、姿を見せないタイプの幽霊ではないかと。これは私の感想ですが、博士のご意見はどんな感じでしょうか」
「姿を見せないのに兵隊だと分かる。最初から出来ていますなあ」
「はい」
「ドアの開け閉めは物理的現象です。これは動かしがたいものがあります。探偵小説でなら糸を使ったトリックでしょうかな」
「探偵小説?」
「ドアノブに仕掛けをし、さっと引いて、さっと閉じる。しかし、これは実験してみないと上手く行かないと思われますな。閉めるのは特に難しい。そのためドアのタイプにもよりますが、ノブを回すのは糸では難しい。長いマジックハンドのようなもので、向かい側の部屋から伸ばして……となると、そんなのを誰が何の目的で用意するのか……です。前に部屋はありますかな」
「ありません。壁です。その後ろは中庭です。そんな棒を伸ばすような場所はありません」
「じゃ、単純に誰かがドアを開け閉めし、さっと去ったのでしょう。または間違えて開けてしまい、さっと閉じた。あなたが部屋にいたときのその位置からドアまでの距離はどうなのです。また、すぐに立ち上がってドアまで行きましたか。そして廊下の両端を見るまでの時間は?」
「はい、そう言われれば少し間がありました」
「部屋の中に何者かがいる気配がする。これは幽霊のことが頭にあるからでしょうなあ。何かの光線の反射、何かが風で揺れた。それらが原因でしょう。以上はほんの一般論ですが、これは私でなくても、誰でも言える内容です。わざわざ来てもらって、この程度の解説しかお伝えできなくて残念ですが」
 小豆洗いは黙っている。
「どうかされましたかな。ご不満でしょうか」
「お祓いとかを進めないのでしょうか」
「それはもう、やられたのではないのですかな。それで駄目だから、ここに来られたのでしょう」
「お祓いでは効かないのでしょうか」
 小豆洗いはあまり深刻そうな聞き方ではない。
「まだ死んでいないと思っている霊なら、お祓いで気付くでしょうなあ。ただその衣装が分かる霊でないと駄目ですが」
「それは興味深いですねえ」
「きっとその兵隊さんの幽霊は死んでいることを知っているのでしょう。それが分かっていながら、とどまっている。ただ……」
「ただ?」
「ただ、それは地鎮祭のようなもので祓っておる神主や坊主にしても、霊が何処におるのやら分からんのではないかな。見えておれば怖くて仕方がないじゃろ。お祓いとは霊に対してではなく、関係者に向けたパフォーマンスじゃ」
「今回は見えない幽霊なのですが、中には見たという人もいるのです。ただ……」
「ただ?」
「ただ、その方は何代目かの店長で、豪快な方でした。霊を見るようなタイプじゃない。だから、ある乗りで語ったのではないかと思われます」
「ほう」
「気配を感じた店長や関係者はいずれも神経質そうな人ばかり。私もそうですが」
「そこに幽霊の正体が表れておりますなあ」
「まあ、それは見える人、感じる人にしか分からない現象なのでしょう」
「よく分かっておられる。それなら、私のところへ相談に来る必要はなかったのでは」
「いえいえ、専門家の意見も聞きたくて」
「それはおかしいですなあ。私は特に幽霊の専門家じゃなく妖怪が専門ですぞ。これは先にも言いましたね」
 小豆洗いは二度瞬きをする。これは作為的なようだ。
「ところで博士は使われますか」
「はあ、何ですかな」
「呪術的なものです」
「ああ、それはもうさっぱり」
「そうですか」
「しかし、知り合いに強烈な婆さんがおってのう。これは何でも使える。狐でも犬でも天狗でも。得意は虫じゃ」
「何かありましたら、ご協力よろしく」
「少し話の筋が見えんが」
「厨房調査室付きになってもらえないでしょうか」
「はあ?」
「では厨房長、つまり私ですが、その直属では」
 妖怪博士は小豆洗いの大きな目よりさらに大きな目で見つめる。久しぶりに瞼を全開させた感じだ。目から鱗ではなく、目から瞼だ。取れてしまうと大変だが。
「部下に任せると、まともなのを連れてくる。これは困るのです。かなりの大物です。あの編集者さんから聞いたのですが、博士はどの団体にも所属しておらず、しかも自ら組織も作っておられない。あくまでも個人でやっておられる。しかも失礼ですが知名度は全くない。そして、妖怪も幽霊に関しても際立った専門性も能力もない。ごめんなさい。これらは全て褒め言葉なのです」
 妖怪博士の瞼が降りない。
「気象庁から人をよこして欲しかったのですが。無理なようです」
「中華屋と気象庁。これは、どういう組み合わせじゃ」
「昔なら天文方でしょうか」
「なるほど、天気予報と占いの関係ですか」
「今もどこかに残っているようです。こういう方面は気象庁に人材がいました」
「あなた」
 小豆洗いが始めて顔をほころばせた。苦しそうに見えるが、実は微笑んでいるようだ。
「うちにもそういうブレーンが必要なのですが、私はそちらに疎く、というより、全く信用していないのですよ。といって適当な人がいない。仕事をしてもらってもまた困るのです。将棋の駒と同じです。布陣だけで結構です。そこに駒としてあればいい」
 そこまで言われると、妖怪博士も、目の前にいるこの小豆洗いが誰であるのかが分かった。何処かで見たような顔だとは思っていた。厨房の意味が分かり、内閣という洋館の中華飯店名の意味も分かった。
「あとで、担当の者が振込先の口座を聞いてくると思いますので……」
 妖怪博士の意識が遠のいていく。
 そこに電話の音。
 妖怪博士は布団の中から受話器を取る。
「先生、今からそちらへ中坊という坊さんが行きますので、合ってやって下さい。何でも幽霊退治の修行中とか」
 妖怪博士は無言で受話器を叩き切った。
 予知夢というのはあるのかもしれないが、正しい予知ではなかったようだ。
 
   了




2013年6月4日

小説 川崎サイト