小説 川崎サイト

 

考え落ち

川崎ゆきお


 人の思いほど勝手なものはない。思うということは想像することだが、筋や形を思い浮かべるのだろう。思うには感覚がいる。これは誰でも持っている。この感覚の次元で、既に思いが込められているように思える。感覚的に感じた瞬間、もう想像力を働かせているような感じだ。
 思いの糸がその人の現実を作り上げているのかもしれない。糸で編み出しているのだ。意図的にかどうかは分からない。ただ、そういう編まれ方をする。編んだ本人もよく分からないままかもしれない。
 人は勝手なもので、自分に都合のいい編み方をやっている。その方が自分を発揮できるためだろう。ある程度自分の得意とするものを優先させる。これは悪いことではない。生存のためには必要なので。
 だから、物事に関しての解釈も、自分の思いを中軸にして展開される。これは希望だけではなく、その逆もある。裏返しかもしれない。
 自分の解釈とは別に、現実がある。動かしがたい現実だ。これに直面したとき、解釈では何ともならない。その現実をどう取り扱うかになる。出来れば、自分にとって都合のいいように。
 沖田はそんなことを考えていたのだが、最近はどうでもよくなった。世の中には何ともならないことがあり、如何に解釈しようとも、別の思いで塗り替えようとも、動かしがたいものがある。
 その壁に突き当たったとき、小賢しいことを考えていても、あまり役に立たなかった。
 世の中や、この現実はなるようにしかならない。だから諦めてしまおうというわけではないが、それが世の中だと思うようになった。
 そのことを友人に話すと、
「また、上手い逃げ道を見つけたのかい」とからかわれた。
「いや、そうじゃない。考え落ちをしていたんだ」
「考え落ち」
「考えすぎると、穴に落ちるんだ」
「ほう」
「考えすぎると、意外とつまらんところに落ち着く」
「それは考えが足らんから、そうなるんじゃないのかい」
「それもあるが、下手に考えるとこじらすだけだ」
「じゃ、何も考えないほうがいいのかい」
「そういうわけにはいかないが、直感というのがある」
「ほう」
「これは博打のようなものだけど、まあ、後悔はしない」
「うむ」
「だから、今後は直感を磨こうと思う」
「どうやって?」
「さあ、それはまあ、直感で」
「うーん」
 
   了


 


2013年6月12日

小説 川崎サイト