小説 川崎サイト



成功の秘技

川崎ゆきお



「今、ご覧になったものが全てではありません」
 貸し会議室を出た堀内に話しかけてくる男がいた。
「先生のお話は、まあ書籍でも書いてあることです。そちらはお読みになりましたか」
「いえ」
 堀内は、この男はスタッフだと思った。セミナーには五十人来ていた。話しかけられたのは建物を出た歩道だった。
「本当のことは書籍でも講演でも語られていないのですよ。あれはまあ、入門編というか、入り口ですな。何事もそうなんですが、今以上に興味を抱いている方でないと、いくら貴重な情報も馬の耳に念仏なのですわ」
「そうですねえ」
「ちょうど、そこに喫茶店があるようです。もう少し話してみます?」
「はあ?」
「ああ、だから落ち着いた場所で」
 堀内はこのまま戻るのも物足りないと思い、同行した。
「先生の講演はいかがでした」
 男は無造作にフレッシュとガムシロップを黒い液体に注いだ。
「常識で考えれば分かる内容だったのではないですか。特に凄い話ではなかったと思いませんか」
「そうですねえ」
「だから、本当のことは隠されているのです」
「では、あのセミナーは何だったのですか」
「空気を学ぶことです」
「はあっ?」
「この業界の空気を知ってもらうことです。それに触れることも、情報の一つなんですよ。情報って情と報でしょ。情は情緒、情感の情なんです。まあ、心とか、気持ちと言ってもいいでしょう。それに触れることも、情報を得ることなんですね」
「はあ」
「成功の秘密はそこにあるのですが、あなたはまだ気付いていません」
「僕は、どういうものかと思い、ちょっと覗くつもりで参加しただけです」
「あなたに声をかけたのは、欲の皮を何枚も重ねたような人じゃないと見抜いたからです。実に淡々とされています。あ、会場で観察していたのですよ。欲に目が眩んだお人ではないと」
「それで、本当のことって何ですか?」
「特別会員になられたらお話します。先生から直接お話も聞けますよ」
 堀内は手の込んだ勧誘だとすぐに分かった。
「成功を貪欲に望まないようなタイプの人こそ成功者の条件なんです。これは秘密ですよ。この種類のアドバイスを先生からもっと沢山聞きたくありませんか。あなたの人生は確実に変わります」
 堀内はもう聞く気はなかった。よそ見をしていると、同じように捕まっている人が何人かいた。
 
   了
 
 

 


          2006年10月17日
 

 

 

小説 川崎サイト