小説 川崎サイト

 

没個散歩

川崎ゆきお


 山田の散歩方法が人と違っているのか似たようなものかは本人もよく分かっていない。散歩の方法など、どうでもいいことなので深く考える必要はないためだ。
 山田はいつもの道をいつものように歩いている。並木のある歩道で、住宅地だ。たまに田畑も見える。場所としては何でもない。この道を選んだのは家から近いため。
 散歩のため、場所を選ぶのではなく、歩ける場所なら何処でもいい。そして近いほうがいい。その方が家を出た瞬間から散歩になる。
 玄関を開け、前の道に出た瞬間、そこは散歩コースとなる。ただ家の前の道は多目的で、散歩だけのために、その道を通るわけではない。駅に行くとき、煙草を買いに行くとき、郵便ポストへ行くときにも当然使っている。これは意識が違うだけ、目的が違うだけのことだ。
 さて、家の前の道を少し行くと、散歩コースの道が見えてくる。枝道だ。その道は用がないので通るようなことはない。
 しかしその枝道に入った瞬間、山田の散歩専用路となる。山田が独占しているわけではなく、意識が独占している。ただ、道に対しての思い入れはそれほどない。
 あとは、真っ直ぐに伸びるその道が果てるまで進む。突き当たりまで行き、戻ってくる。それだけのことだ。この距離は時間にして三十分ほどだろうか。決して長い距離ではない。
 歩いているときは、色々なことを思い浮かべるが、調子のいいときは風景がよく見える。目の前のものがそのまま入ってくる。ブロック塀に映る影や、家の前の植え込みや、灌木から伸びた枝などだ。
 こういうのを見ているときが、一番落ち着くようだ。それは自分が何となく何処かに行ってしまっているためだ。自我が消えるわけではないが、しばらくは自分の営みから離れることが出来る。それを一般的には気晴らしと言うのだろう。自転車で走っている人なども、走っているときは何もかも忘れられるらしいので、それが目的なのだろう。
 つまり、他のことに集中していると、メインである懸案などをしばし忘れることが出来る。
 ただ、徒歩での散歩の場合、歩いているだけなので、それほど集中力はいらない。これは車の運転なら別だろうが。
 山田がこの散歩を始めたのは健康のため。運動不足なので、一番簡単に出来る徒歩散歩に決めた。これを運動と言えるかどうかは分からないが、リフレッシュ効果はある。
 そして今は、この散歩が一番好きになっている。そこをただ歩いているだけでも、何となく落ち着く。まるで自分自身のメインの場所のように。
 しかし、その場所は何もない。ありふれた近所の風景しかない。そこに埋没していることが快いのだろう。
 
   了

 


2013年6月16日

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