小説 川崎サイト

 

若年寄

川崎ゆきお


 思いを過去に馳せるのは老いた証拠だろうか。先に楽しさがなければ、過去の楽しかったことを再生させる方がいいのかもしれないが、これはこれで残念なことになることもある。あまりにもそれが楽しく、よかった場合、もう二度とそれが出来ないと思うと、寂しくなる。この感情がつきまとうため、あまりよいことを思い出さないほうがいい。
「まあ、老人の愚痴だな」
「僕らでも同じですよ。学生時代のことを思い出したり、子供の頃を思い出したりします。そしてやはり残念な思いに駆られることがあります。特に後悔が」
「そうかね」
「ものすごく楽しみにしていた旅行に家族と出たとき、僕は凄くはしゃぎましてね。テンションが上がったのでしょうねえ。楽しくて楽しくて、もうそこでいるだけで楽しい。見るもの聞くもの食べるもの、乗り物、風景、全てが楽しい。それで騒ぎすぎたので、親に叱られました。その一言が今でも重みになっているのです。これは油断できない。手放しで、そして無邪気に喜んではけないのだ。はしゃいではいけないのだ。それは、ショックでしたね。それ以降思慮深いひねた子供になったような気がします」
「ちょっと、話が違うようじゃが」
「ああ、過去の楽しい出来事でも、思い出していくうちに、嫌なことも引っ張り出されてくるのです」
「私が言ってるのは、非常にいい思い出がもうリアルでは再現できない寂しさだ。その、何だ……ついでに嫌なことも出てくるとな?」
「そんなことはありませんか」
「それは編集が悪い。カットせい」
「あ、はい」
「悪い思いよりもだ、よい思い出の方が実は悲しいのだ。何ともならんからな。完成された名作なのだから」
「過去を振り返るとはどういうことでしょうか」
「だから、最初に言ったであろう。この先あまり何もないから、過去のネタで楽しむのじゃよ」
「そうですねえ。楽しむために思い出すのですね」
「そうだ。反省するためではない。それに先が短いので、反省しても活かす機会がない」
「それは寂しいです」
「しかし、私は最近それを止めておる。なぜなら、感情移入すると疲れる。まあ、偶然思い出すのはよいが、ほどほどがいい」
「僕は学生時代、長閑な大学で過ごしたのですが、あの頃が一番よかったです。その頃のことをたまに思い出しますが、今となっては何ともなりません」
「何とも、とは?」
「それを活かすとかが出来ないからです。それにもうあの頃のようなことは出来ませんから、考えても仕方がない」
「なるほど。未来に向けての材料にはならんか」
「ほとんど使えませんねえ。そんな夢のような話。それこそはしゃぎすぎたようなネタでは」
「じゃ、今は何を思って生きておるのかね。君は」
「いや、もうその日その日を生き延びるだけで、一杯一杯です」
「私より老いているような言い方じゃ」
「長期のビジョンも必要ですが、具体的なのは無理です」
「うむ」
「僕は早く老人のような暮らしがしたいです。それははしゃぎすぎて叱られたショックが今も残っているからです。だから、分別臭いお爺さんがよいのです」
「まあ、それがいいのなら、そうしなさい」
「はい」
 
   了


 


2013年6月17日

小説 川崎サイト