火の玉を見た
川崎ゆきお
「人魂は見たことはあるねえ」
「僕もよく分からないけど火の玉を見たことがある」
新興住宅地にあるサロン内での会話。いずれも年寄りだ。そして、この近くの話ではなく、それぞれの田舎での子供時代の思い出となっている。
長く覚えている記憶なのだが、そのままを伝えているとは限らない。おそらく同じ事を言っているのだが、子供の頃の言い方と年取ってからの物言いとは違う。しかし年寄り達はほぼ同年配。互いの子供時代は似ている。ただお国が違うため、多少ローカル色が出てしまうが。
「人魂、火の玉、鬼火、狐火、何でもいい。ポーと燃えているものを見たんだよ。大して明るくはないが、周りが暗くてね」
「何処でですか」
「墓場だ。当時は土葬でね。雨の降る梅雨時だった。墓地は村はずれにある。用もないのに行くもんじゃない。その夜は肝試しだった。よくやってたよ。遠征もするんだ。自分ちの墓場だと、もう怖くない。だから隣村とか山の中にあるお寺の墓場とかね」
「墓場で火の玉ですか」
「人魂かな。フワーと浮かんで、フッフッフッと揺れるように燃えていた。これは燐が燃えていることは知っていたんだけど、やはり気持ちのいいものじゃない。何せ土中からガスが湧き出してきたんだから。まだ腐りきっていないんだろうねえ。これだけでもぞっとするよ」
「蛍のようなものですか」
「それなら風流だけど」
「あたしも見ましたよ。うんと小さい頃だけどね。そんなにしっかりとした形じゃなかったけど、光るものがあったよ。誰かがマッチで火を点けたように。それよりもうんと暗いけど」
つまり、年寄り達は本物の人魂だとは子供の頃から思っていないのだ。燐が燃えていることは、もう知っていたと言える。
「私は火の玉を見ましたなあ。一メートルか五十センチかは、うろ覚えだけど、尾を引いていましたなあ。飛び回っていました。場所は墓場じゃないけど、古い空き家でした。その庭で見ました。これも肝試しでしてな。その空き家はお化け屋敷の噂がありまして、夜に行けば何なりと出るんじゃないかと行ったんです。そしたら出ましたがな。他の悪童も見ました。本物です。玉の大きさはしっかりとは覚えておらんが、野球のボールほどの大きさで、形を変えながら尾を引いて飛んでました。空き家の土塀を越えて、向こう側へ飛び去りました。あれは今でもはっきりと覚えていますよ。綺麗だったなあ」
「それは何だったのですか」
「ああ、夜光虫のようなものじゃないかと、先生がおっしゃってましたなあ。小さな虫ですよ。それが固まって飛んでいたんでしょうなあ。まあ、びっくりはしましたが、怖いものではありません。お化けというほどのことでもないし。ただ、驚きました。もう一度見たいとは思うものの、その後二度とお目にかかりません。今考えると、非常にロマンチックな話ですよ。虫の恋愛だったのかもしれません」
「ところで半袖はまだきついですなあ」
「外でも長袖のほうがいいですよ。紫外線でやられますからな」
話題が変わったようだ。
了
2013年6月18日