小説 川崎サイト

 

元気な人

川崎ゆきお


 木村は元気な人が苦手だ。躁状態の人だ。そのテンションに合わせるとしんどいので、元気のない人を演じている。決して演技力は必要ではない。いつもの木村の調子でいけばいいのだ。ただ人と比べて元気がそれほどないタイプではなく、調子に乗れば結構はしゃぐ。そのため、常にローなトーンではない。
 しかし、躁状態で元気な人と接した場合、どうしても無口になる。そして死んでいるようになる。これはダメージ回避術の一つだろう。いつの間にかそれが身に付いた。しかし、特に秀でた能力ではない。静かにしておればいいのだ。
 元気な人が苦手になると、徐々にそういう人が交流範囲から消えていった。仕事や用事があれば合っていたのだが、避けられるものなら極力避け続けていると、結局友達関係から消えた。
 その方が居心地がいいためだろう。
 木村は元気な人を見ると苛立つ。その反対の人間に苛立つのなら分かるのだが、不思議とエネルギーをくれそうな元気な人が厭なのだ。もっともそういう人からエネルギーが発散し、それを分けてもらえるとは思えない。エネルギーは必要だが、貰えるものではない。
 元気な人に対し、苛立つのは明暗の問題かもしれない。明るい面と暗い面だ。元気な人は暗い面が少ない。極端な場合、全てが明るい。しかし、それが信用ならんのだ。そんなわけがないと思う。善いことづくめでは、何か不安定だ。そうかといって、沈みっぱなしの人も信用できない。
 ただ、それは相手に対しての本来の信用や信頼ではなく、肌が合わない程度なのだが……。要するに感覚的なことだ。
 この感覚的なことが先ず前面に出る。それは態度や仕草など、本筋ではないところで決まることがある。決めているのは木村の感覚だ。それはイメージであり、思い込みかもしれない。
 元気な人が周囲に少なくなると、扇動する人も少なくなる。要するに主導権を握られるのが面白くないのだろう。
 といって元気でない人達を集め、木村がリーダーになろうとは思わない。自分のことだけで精一杯なので、人のことまでかまってられない。
 全てを良いように考える人、悪い風に考える人、そのどちらも気に入らないのだが、それは相手の出方がそうなるだけのことだろう。その辺を差し引いて接すれば問題はないのだろうが、そういう思いやりも疲れる。
 そこまで考えたとき、木村の望みが見えてきた。あまり人の影響を受けたくないこと。しかし、間接的になら何とかなるようだ。合ったこともなく、どんな人なのかも実際には分からない人、そういう人の方が生々しさがなく、影響を素直に受け入れやすいためだろう。
 しかし、木村は大した仕事はしていない。だから、実際には何でもいいのかもしれない。
 
   了


2013年6月19日

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