小説 川崎サイト

 

卵綴じうどん

川崎ゆきお


 岡倉は隣町に引っ越して十年になる。すぐ近くなので、いつでも寄れる距離なのだが、そのアパートはもう取り壊され、代わりにマンションが建っている。その周辺にある複数の喫茶店に岡倉はよく行っていたのだが、引っ越し後立ち寄ることはなくなっている。徒歩距離で近いから通っていたのだ。
 今は引っ越し先近くの喫茶店に通っている。だから引っ越し前の町内とはもう縁が切れた。ただ、その近くを自転車で通りかかることはある。しかし喫茶店前の道路は避けている。
 その喫茶店が気に食わないので、行かなくなったわけではない。また、引っ越したのでもう来れなくなったと断りを入れるほど店とも親しくはない。
 よく通っていた喫茶店は三軒か四軒ある。そのうち一軒は潰れている。
 その日、近くに寄ったので、久しぶりに店の前を通ろうと思った。急に思い付いたのだ。
 一軒目は不動産屋の貼り紙があった。テナント募集と。ここは洋食屋のような喫茶店で、駐車場がない。それに駅から遠い。ただ、近くに工場があり、そこの人が昼食を食べに来るので持っていたようなものだ。
 岡倉は十年ぶりにその前を通ったのだが、もっと早い目に潰れていた可能性もある。ここは初老の夫婦がやっており、日替わり定食が目玉だった。値段が高く、食後にコーヒーまで飲むと毎日通える客は少なかったはず。しかし料理は美味しかった。岡倉は何か善いことがあったとき、たまに定食を食べた。いつもはコーヒーだけだ。喫茶客は少なく、一人のことが多かった。
 そして、次の喫茶店へ向う。こちらは駅に近く、少し離れた場所だが駐車場もある。岡倉より一回りほど若い夫婦がやっていた。それから十年経つから、もういい年になっているだろう。ベテランの域に達しているはず。
 こちらは看板が出ており、氷と書かれた布がなびいている。潰れてはいない。ここは喫茶店だが、軽食も出す。だがその食材はケチなもので、あまりいいものを使っていないし、量も少ない。ここのマスターとたまにスーパーで出くわすことがあった。そこで賞味期限間近の安い食材を買っていたのだ。
 この店が生き延びたのは立地条件にもよるし、また常連客が付いていることも大きいが、食材が安いことだ。
 その中の傑作が卵綴じうどん。この地域でうどんを出す喫茶店は珍しい。おそらくないだろう。そしてこのうどんが高い。うどん玉と卵があれば出来る。これで儲けたわけではないが、そういう経営感覚がある。難しい話ではない。安い材料を使えばいいのだ。
 岡村はその前を通り過ぎる。
 硝子張りのドア、大きめの硝子窓。中から見られていそうなので、自転車のスピードを上げる。
 決して気に食わない店だから、来なくなったわけではない。
 岡倉は潰れた店と残っている店の違いについて考えた。結局よく分からない。
 ただ、潰れた洋食屋風の喫茶店オーナーは、それが入っている建物のオーナーでもある。それなりに大きなマンションだ。それだけでも食っていけるだろう。
 卵綴じうどんを出す喫茶店は一戸建て。そして喫茶店として設計した建物のようだ。やはり踏ん張りの違いが出たのかもしれない。
 
   了



2013年6月22日

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