小説 川崎サイト

 

花と会話する老婦人

川崎ゆきお


 初夏の夕暮れ時、三村の前を老婦人が歩いている。陽射しは緩み、歩きやすい時間帯。三村はこの時間、散歩する。前を歩いている老婦人もそうだろう。歩道の左は車道。右は小学校の敷地。粗い網フェンスが続いている。
 まだ陽射しはあるため、歩道を行く人は歩道の左側を歩く。並木が日陰になっているためだ。
 前をゆく老婦人が急に進路を変えた。交差する道はない。老婦人は右側の陽射しのある側へ出た。そこは校庭の網フェンスだ。それに近付き、そして立ち止まり、前屈みになる。三村は気分でも悪くなったのかと思ったのだが、声が聞こえてきた。
「はいはいお元気で、なによりです。はいはい私も達者ですよ。昨日もお話ししましたねえ」
 老婦人の前には誰もいない。
 よく見ると、網フェンスからアジサイがはみ出している。それを見るために老婦人はかがんでいるのだ。
 つまり、この人は花と話していることになる。
「では、お元気で。また明日お会いしましょうね」
 三村は老婦人に近付く。
「おや、こちらの子もいましたか。また明日」
 老婦人は、別の花にも話しかけたようだ。
「あのう」思わず三村は声をかけてしまった。
「はい」
「花と話されているのですか」
「はい」
「花から何か聞こえてくるのですか?」
「うんと近付かなければ駄目ですよ。耳をうんと寄せないと」
「それで、聞こえるのですか」
「そんな気がします」
「ああ、なるほど」
「では、花からは声は聞こえてこないのですね」
「花が喋り出したらうるさいじゃないですか」
「まあ、そうなんでしょうが」
「でも、何かお喋りをしているのは聞こえるんですよ」
「はい」
 老婦人は、一人でお花さんごっこをしているのだろうか。
 三村は、そのまま散歩を続けた。そういえば三村は花とは会話しないが、雲と会話する。確かに雲が喋ればうるさいだろう。雷のようなものだ。
 それに近いことを、あの老婦人もやっていたのだろう。
 
   了



2013年6月27日

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