小説 川崎サイト

 

猫よけ結界

川崎ゆきお


 岩田老人宅の玄関戸に「セールス勧誘一切お断り」と書かれたプレートが貼られている。玄関戸は二枚のガラス戸で、ガラガラと開ける昔のタイプだ。
 夏になり暑くなったので、岩田老人は玄関戸を開け放している。半畳の幅だ。
 そして暑い昼過ぎ、岩田老人は奥の間で昼寝をしていたところ、「あっ」という声とドサッという音が聞こえた。
「罠にかかったな」音で昼寝を中断され、岩田老人は機嫌が悪い。
 目眩がしないようにゆっくりと立ち上がり、廊下に出た。靴脱ぎ場となっている少し広い目のスペースがある。ここに自転車などを入れている。土間だ。そこに男がうずくまっていた。転んだのだろう。痛いのか膝をついたままだ。
 土間に糸が張られていたのだ。その糸に足を取られ、その男は転んだ。糸の高さは足首の少し上程度で、低い場所にピンと張ってあった。
「断りもなく、勝手に入って来よったか」
 男は大きなボストンバッグを持っている。セールスだろう。暑い中、徒歩で回っているのだろうか。近くに停められそうな駐車場はない。
「何ですか、これ」
 男は糸を引っ張る。既に切れていた。
「猫結界糸だよ。まさか人様が引っかかるとは思わんかったぞ。玄関が開いておったので、勝手に侵入したんだろ。何者じゃ」
「挨拶に来ました」
「え、何の」
「この近くに営業所が出来たので、ご近所に挨拶をと」
「そんなことせんでもよかろう。挨拶だけでわざわざ家に入り込むものか。それにそんな礼儀正しい人間なら呼び鈴を鳴らすなり声をぐらいかける。そっと人様の家の中に入り込もうとはどんな魂胆だ」
「開いているので入ってもいいのかな、と思いました」
「セールスお断りの文字も見ただろう」
「気が付きませんでした」
「嘘をつけ」
「しかし、この仕掛けはひどい」
「猫が入り込むのでな、猫よけの糸じゃ」
「誰だって、引っかかりますよ。危ないですよ」
「普通の客なら、跨げと言って入れる。君は案内も請わずに勝手に入って来た。猫と同じじゃないか」
 男は座ったままボストンバッグを開け、洗剤とパンフレットを取り出す。
「受け取ってください。荷物が重くて、重くて」
 岩田老人は、それを受け取る。
「大変だなあ、君も」
「こんなトラップに遭うとは思いませんでした」
「勝手に入るからだろ」
「はい」
 男は立ち上がり、かんかん照りの道に戻った。
「ご苦労だなあ、働くのも」
 岩田老人は、新しい糸に張り替えた。
 ちなみに猫など入り込んだことはない。
 
   了



2013年6月28日

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