小説 川崎サイト

 

軒下の石

川崎ゆきお


 何か神秘は隠されていないかと高橋は常日頃から目を光らせている。しかし、そういう目付きで日常を送っていると、おかしくなる。何でもないことでも神秘的に見えてしまうのだ。神秘を掘り返しすぎたのかもしれない。狙っていないとき、気にかけていないときに神秘事は現れるらしいことを知っているのだが、そのときは神秘を神秘として鑑賞できない。気付かないまま通過するためだ。
 だから、インチキ臭い神秘の方が扱いやすい。底が知れているためだ。こちらの方は探せば出てくる。ただ底が浅いので、すぐに底をついてしまい、それ以上の神秘は出てこない。非常に浅い神秘だ。
 神秘的とは謎めいていることでもある。分かってしまうと何でもないのだが、事情が分からないと神秘のままだ。謎は解明されない方が神秘的なままでいられる。そして、本当に分からないこともあるのだから。
 高橋は近所の神秘的なものは、ほとんど見てしまった。それはただの石の場合もある。路上に結構大きな石、一人では持ち上げられないようなのが転がっている。それが路肩にある。最初からそこにあった石ではなく、何かの目的で置かれたものだ。場所は村道のような通りで、昔は村と村を結ぶ幹線道路だったのかもしれない。
 まさか休憩用のベンチのような石ではないだろう。馬を繋ぐときの台のような石は、別の場所で発見している。その石は加工されており、鉄の棒が通されていたあとがある。そこだけ錆びている。
 さて、意味不明の石だが、軒下に何個かある。高橋はその前を通る度に謎を解明したいと思っているのだが、うまい説明が出来ない。これは、この軒下の人に聞けば分かるのだが、それでは神秘がすぐに消えてしまう。ここはまだ残しておきたい。
 それらの石は私有地にある。軒下なので公道ではない。だから、その家の持ち物なのだ。
 一番分かりやすい答えはガードレールのようなものだ。荷車などが家に当たらないために。これは今でも通用する。実用性を今も失っていない。一方通行の狭い道だが、運転ミスで家にぶつかることもあるだろう。
 その近くのブロック塀に車の擦り痕が何筋も出来ている。そうならないように、ガードレールがあるのだが、狭いと作れない。
 塀ならいいが、その石が並んでいる前は家の本体だ。道沿いの部屋ではおちおち寝てられないだろう。
 その石沿いの家もそれほど古い民家ではない。最初石が置かれた時代から何度か建て替えたはず。やはりこの実用性があるので、石は撤去しなかったように思われる。
 これで、この石の神秘は消えるのだが、ここまでは高橋の想像だ。実際に聞けば違う答えが返ってくるかもしれない。
 高橋はその違う答えとは何かを考えるのを楽しみに、その前を通っている。
 
   了



2013年6月30日

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