小説 川崎サイト

 

町歩き

川崎ゆきお


 岸田老人はアウトドア派だ。山や野に出るハイカーではなく、町歩きだ。部屋にいないだけのアウトドアで、家のドアのこちら側かあちら側かの違いだ。じっと家の中に居るのが嫌なようだ。といって仕事をしているわけではないので、ノマドではない。
 リュックには分厚いハードカバーの小説本を入れている。それを喫茶店や公園のベンチで読む。リュックには雨具なども入れている。それなりに重みはあるが、これが軽いと頼りないらしい。ある程度の重みがないとリュックが動くからだ。しかし重すぎるとだめだ。肩が凝るし背中から腰にかけてだるくなる。この重量バランスは家を出るときに確かめているが、ほぼ一定だ。
 町歩きと言っても近所だけでは限界がある。そのためバスに乗ったり電車に乗る。行き先はあるときもないときもある。適当だ。その方が新鮮なためだ。予定調和的な動きは、そうならなかったとき、ストレスになる。
 夏場になると、さすがに辛い。熱中症対策で水筒も欠かせない。これはペットボトルだが、そのカバーが水筒のように見える。これをリュックに突っ込んでいる。それとチーズも欠かせない。三角が好みだ。
 結局は適当に歩いているだけで、立ち寄れそうな店屋を冷やかしたり、つぶれかかっていそうな大衆食堂に入ったりする。こういう動きを自転車でやっている連中を知っているが、岸田は徒歩派だ。体力がないので帰るとき、自転車では辛いのだ。
 それで見聞が広がるわけではないが、家でテレビやネットを見ているよりも楽しい。つまり娯楽性が高い。ただ、スイッチを押せばいいだけのことではなく、その足で歩かないと見聞出来ないため、それなりの労がいる。この労が、つまらないものでも、それなりに見学出来るのだ。せっかくここまで来たのだから、見てみようと。
 そういうことをブログで書いていた頃もあったが、誰かが読みに来た気配もないので、今は辞めている。
 そこで見聞したことを書いても、「そうではないのだ」というのがどうしても残る。これは文章力の問題ではなく、実体験の「感じ」を伝えるのは無理があるためだ。それよりも自分の記憶の中に投げ込んでいる方がアクセスしやすい。ほとんど忘れてしまうのだが、似たような風景を見たとき、ふっと思い出す。
 大衆食堂で痩せこけたトンカツを食べるのも楽しみの一つだ。これはグルメ路線ではない。食の楽しみではなく、その場の雰囲気を味わいたいのだ。その親父がどんな顔で、このトンカツを揚げたのか、または何処で買ってきたのか、等々。その親父の顔がもろに見られるし、また店の構え方、内装で何となく伝わって来るものがある。
 岸田はそれで、近辺の町をかなり踏破したことになる。セールスマン時代、あんなに辛かった外回りだが、今はそれを考えると、気楽なものだ。
 
   了

  


2013年7月3日

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