小説 川崎サイト

 

歌謡曲

川崎ゆきお


 テレビを観ていると、歌謡番組をやっていた。そして年輩の女性歌手が歌謡曲、演歌を歌っていた。もう何十年も前の曲や歌詞かと田中は聴いていたのだが、新曲らしい。その歌手の顔を見るのも歌を聴くのも始めただが、違和感がない。
 番組は大きなホールからの生中継だ。テレビに出ているのだから、田中が知らないだけで、それなりに有名なのだろう。
 田中は歌謡番組を観る機会はほとんど持っていない。いつも付けっぱなしのチャンネルでたまに観るだけ。そして観ないときもある。この番組は毎週やっているはずだが、実際に観ているのは月に一度ほどだろう。だから、歌謡曲の情報がどうなっているのかは知らない。その番組を通してでしか。
 何十年前からあったような曲と歌詞なのだが、歌い手により、多少の違いがある。たとえば地名をいくつか並べただけの歌でも、十分映像が浮かんでくるし、聴き応えがある。地名を詠み上げているだけなのに。
 要するにご詠歌のようなものだろうか。その響きが快いのだ。
 その歌謡曲、演歌で歌い上げている世界は実際にはないのかもしれない。ただ、それがあった時代もあったのだろう。あったはずの港町や盛り場。誰かを待ち続ける男や女。そこで描かれている世界は、今の世界とは違う。しかし、中には残っている場所もあるだろう。
 そして、ホールの客席も映し出されているのだが、ほとんどが老人だ。中年などは若手も若手。
 そういえば田中もある時代で止まっている。もうその時代は終わっているのだが、それがベースになっており、標準であり、基準となっている。それがいつ頃出来上がったものなのかは分からない。
 そして歌謡曲を聴いていると、昔の思い出が蘇る。浸かり慣れた湯のように。
 しかし、その歌詞の世界など田中は一度も体験していなかったかもしれない。だから、フィクションの世界だ。そのフィクションに感情移入していたのだろう。
 その後、もう原型が分からなくなったようなコーラスグループが出て来た。すべてお爺さんだ。この人たちの若い頃を知っているはずなのに、その顔を見ても思い出せない。ただ歌はよく聴いたことがあるので、すんなり馴染む。何の抵抗もなく。
 また、懐かしの歌紹介コーナーに出てきた歌手も、原型が分からない。古い写真を見ると、思い出せるのだが、それを見ても、遠いものになっているはずだ。
 そして、田中も原型が分からない年齢になっていることに気付いた。
 
   了

 
 


2013年7月6日

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