小説 川崎サイト

 

傘施餓鬼

川崎ゆきお


 雨が降っていた。小雨だ。
 狭い路地の奥に占い師の婆さんの家がある。
「何か悪い霊でも憑いているようなので、お祓いをして頂きたいのですが」
 貧相な初老の男が頼む。悪霊ではなく貧乏神が憑いていそうだ。
「はいはい」
 占い婆さんは軽く引き受ける。
「ところで、ここは占い所、お祓いの祈祷師はおらんがなあ」
「整骨院か、整形外科か、按摩や針程度の違いです」
「少しずつ違うと思うがなあ」
「すみません。ここが近かったので、まあ、似たようなものだと思いまして」
「そうかいそうかい。それで、どんな具合じゃな」
「私は個人事業主なのですが、最近何となく身体がだるくて元気がありません。それにやることなすこと全部しくじることが多く、気持ちがどんどん沈んで行きます。これは霊障ではないかと、自己判断したわけです」
「霊障? 何でもかんでも、霊の前後に漢字をくっ付けて造語してはいかん」
「言うでしょ。霊障って」
「まあ、それはよいが、わしは占い師でな。まあ、何でもやるが、要は悪い霊を抜けばよいのじゃな」
「はい、除霊です」
 占いの婆さんは男の顔をじっくりと見る。決して人相でその人が分かるわけではないが、ある程度の類型、パターンがある。ただ、この婆さん、霊感はないので、具体的に見えるものでしか判断しない。それで十分なのだろう。
「では、簡単な方法を教えてやろう。実行するかい」
「はい、お願いします。出来ることと出来ないことがあるので、何とも言えませんが、出来ればここで祓ってもらって、すっきりして帰りたいのですが」
「そんなことが出来るのなら、わしゃ大金持ちよ」
「では、どのような方法で」
「ここではやらん」
「では、深山で滝に打たれてとか」
「スーパーでよい。コンビニでもいいが。まあ、店屋でよい」
「はあ?」
「何処か思い当たる所は?」
「いつも毎日通ってるスーパーがあります」
「スーパーならよろしい。一番よいかもしれんのう」
「はい」
「足は」
「足はあります。歩けます」
「スーパーまで歩いて行くのかな」
「いえ、自転車です」
「おお、それはいい。それで決まりじゃな」
「スーパーとお祓いとはどう関係があるのでしょうか」
「まあ、聞きなされ」
「はい」
「この梅雨空、雨は必ず降る。晴れておってもな」
「気象と関係するお祓いですか」
「先を急ぐでない」
「あ、はい」
「雨が降りそうで降らん時刻にスーパーへ自転車で行きなされ」
「はあ」
「傘を持ってな」
「当然ですね」
「その傘、自転車置き場に残して行きなされ。自転車のハンドルに引っ掛けるもよし、サドル下に引っ掛けるのもよし。何でもいい。要は傘を店内に持ち込まんことじゃ」
「それで」
「それだけじゃ」
「はあ」
「雨のタイミングを見計らって、実行しなされ。まあ、雨に関係なく、常にスーパーでは傘を自転車に残す。これを続けなされ。何日かかかりましょう」
「それはどういうことでしょうか」
「何も聞かず、考えず、そして思わず。そして、後日、結果を報告しなされ」
「はい」
 その後日だが、男は傘を盗られた。
 そして、それを報告に来た。
「よし、祓えたようじゃな」
「はあ」
「傘が消えた」
「はい。少し高い傘でした」
「悪霊は傘とともに流れた」
「はあ?」
「傘施餓鬼、傘流しと申してな、悪いものを誰かが持ち去ったのじゃ。これで、取れたぞな」
「祓えたのですか」
「傘盗人の畜生に施したことになる。その餓鬼が何処かへ運んだ。もう悪しきものは消えた」
「餓鬼って」
「盗んだ奴よ」
「はあ」
「どうじゃ。具合は」
「ああ、そういえば」
「んっ」
「何か、今、急に軽くなったような」
「うんうんうんうん、それそれ」
「はい、気も明るく」
「うん、うん」
「抜けたようですわ」
「また具合が悪うなったら、傘を餓鬼にやりなされ」
「はい、有り難うございました」
 世の中には気のせいも大事だ。
 
   了



2013年7月13日

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