「果てまで行って戻って来ました」
「果てがあるのか」
「果てだと言ってもよいかと」
「それは本当の果てではないようだな」
「でも果てと同じかと」
「どう同じなのだ」
「こことそれほど違いがないので」
「では、ここと同じ状態が続いておるのだな」
「そうです」
「では行っても仕方がないのう」
「僕もそう感じたので戻って来ました」
「私は果てが見たいと思ったが、まだ見た者と出合ったことはない。君は奥で見た者と出合ったか?」
「いえ、出合いませんでした」
「しかし、果てる地があるはずだ」
「あのう」
「何だ」
「向こうから見れば、ここも奥地かと」
「なるほど」
「だから僕らは果てから来た人になるのでは」
「私の故郷は果てではない。周囲がまだある」
「僕の在所もそうです」
「だとすれば果てはないのかもしれぬ」
「だから、僕は引き返して来ました」
「果てとは言い回しに過ぎぬのか」
「かもしれません」
「果てとはそこから先がない場所じゃ」
「それなら近在にもありました」
「どんな?」
「谷の奥の村で、そこから先はもう人は住んでいません」
「山の向こうには住んでおろう」
「道がありません。見知らぬ国です。山の向こうは」
「なるほど、それは果てかもしれぬ」
「行き止まりを果てと呼んでいるのではないでしょうか」
「そんな場所ならいくらでもある。探す必要はないということだな」
「でもシラカワの国から山を越えた里は、僕たちと違う形相の人が住んでいるとか」
「行った人がおるのだな」
「言葉も違うし、着る物も違うとか」
「私はその人達を都で見たことがある」
「あなたはどうして果てを探しているのですか?」
「君はどうだ」
「僕は広く世界の果てまで見聞したいからです」
「私は何となくだ」
「では、差し迫った用事はないのですね」
「お互いにな」
それが二人の旅の果てだったようで、果て探しはここで果てた。
了
2006年10月20日
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