小説 川崎サイト

 

乗り合いバス

川崎ゆきお


 住宅地にあるバス停だ。高橋はいつもそのバス道を自転車で横断している。車が多いときは、通り過ぎるまで待つ。そのとき、バス停へ向かう歩行者と並ぶことがある。年寄りが多い。
 その横断歩道には信号がない。そのため、渡るのに慎重になるらしく、完全に車列が切れてから渡るようだ。高橋も急ぎの用ではないので、途切れるまで待つ。無理すれば、わずかな間隔の隙間に渡れるのだが、それをすると横にいる老人もつられて渡ろうとするだろう。
 そのため最近では、自分ではあまり左右を見ないで、誰かが渡り出すのを待つことにしている。当然、バス停へ向かう歩行者ばかりではないので、元気な若者は、隙さえあらばサッと渡る。これに引っ張られないように心がけている。だから、マークしているのは老人だ。
 信号は、少し離れたところにあり、そちらが赤になると、車はもうやって来ないが、横断歩道から信号はしっかりとは見えない。
 しかし、急がなくても、切れるときは切れる。それほど時間はかからない。そして、完全に左右とも車が遙か彼方の豆粒のようになった状態で、老人が渡り出す。高橋も一応確認する。
 ただ、伏兵がいる。これは枝道からバス道へ入ってきた車だ。それらの枝道はバス道と交差しているのだが、信号はない。だから、いつ曲がり込んだのかは分からない。
 この場合、豆粒ではなく、急がないとすぐに迫るほどの大きさの車が突然現れる。これは信号のタイミングとは関係がない。
 毎日のようにバス停前の横断歩道を渡る老人たちは、その伏兵のことも頭に入っているのだろう。だから、左右とも豆粒のような車体でも決して油断しない。さっと幽霊のように現れることを知っているからだ。
 と言うようなことを考えながら、それら老人の用心深さを信用し、老人が動けば、高橋も動くことにしている。
 しかし、その老人がついうっかりし、伏兵に気付かないで渡るかもしれない。まあ、そこまで心配する必要ないだろう。なぜなら、一応高橋も少しは左右を見るのだから。
 バスは駅前行きで、老人たちは用事で出かけるのだろう。歩いてでは遠すぎるし、自転車に乗ったこともないお婆さんもいるはず。そして、駅前は駐輪禁止で、有料に入れないといけない。それならばバスの方が楽だ。いつも同じような時間に一緒に乗るメンバーと並んで待ち、そして乗る。つまり乗り合いバスなのだ。これは賑やかでいいのかもしれない。
 高橋も、一度このバスに乗ってみたくなった。
 
   了



2013年7月23日

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