小説 川崎サイト



眠れる夜

川崎ゆきお



 快適な睡眠のために吉田は生きていると言ってもよい。
 思春期時代から不眠症となり、中年を迎えた年、この生き甲斐にターゲットを絞ったのだ。
 生き甲斐が気持ち良く眠れること……となると、起きているときが目的ではなくなる。
 しかし起きているときの行動が睡眠に係わることを発見した吉田は、より良い生き方が自ずとより良い睡眠に繋がるのではないかと考えたわけだ。
 実際の話、寝不足ではろくな仕事は出来ない。仕事中は睡魔との戦いで、何とか眠らないで身体を立てることが仕事になっていた。
 しかし寝不足時、異様なテンションが勃起し、思わぬ手柄を立てることもあった。
 誰もが嫌がる得意先へ乗り込み、クレームを処理したこともある。誰にでも出来る処理だったとしても、気が重く、行きたがらないのだ。
 そんなとき、吉田の戦力は見直された。
 吉田は不眠症だが、眠れないのではない。会社では眠くて眠くて仕方がないのだ。
 しかし、会社が終わり、家に帰るともう眠気は消えている。
 会社で何度か眠っているのだ。昼寝をやりすぎると夜に眠れないのと同じだ。
 若い頃は睡眠薬を飲んでいたが、長く飲み続けると効かなくなるどころか、副作用で動悸や目眩が起こり、それが気になってますます眠れなくなってしまった。
 不眠症とはいえ、朝方までには眠りに落ちる。だが、眠った瞬間目覚ましが鳴る。もし鳴らなければ、そのまま眠っているはずだ。その証拠に休日は昼過ぎまで起きてこない。
 快適な睡眠を生き甲斐とする決心をした吉田が立てた作戦は、会社で居眠らないことだった。
 これを実行するため、進んで外回りに出たのだが、地下鉄内で眠ってしまった。逆効果だ。むしろ社内よりは眠りやすい場所がいくらでもある。
 人は心掛けると望んでいた結果は出るもので、会社が引けると睡魔が一気に起こり、家に帰ると夕食も食べないで眠ってしまえた。
 人はそれほど眠れるものではない。早く眠った吉田も人間なので、早く起きた。真夏でもまだ陽が出ない時間に起きていた。
 吉田は快適な睡眠を家の布団の上で得ることに成功した。
 そして朝は普通に起き、普通の体調で出勤し、仕事をした。
 そして嫌な得意先のクレーム対応も、普通に嫌がった。
 その後、長い不景気が続き、世間でよくある人員整理の波を真っ先に被った。
 まだ四十前の吉田は、給料が半分のパート社員になり、経済状態も悪くなったが、決して嫌な顔をしなかった。
 なぜなら生き甲斐と決めた快適な睡眠がまだ続いているからだ。
 
   了
 
 
 



          2006年10月21日
 

 

 

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