小説 川崎サイト

 

なくした帽子

川崎ゆきお


 あることをきっかけに流れが変わることがある。
 田村はワゴンセールで帽子を買った。ぺらぺらした生地で、あまり上等ではない。丸い帽子で、短い庇が一周している。
 田村は日除けで帽子を被っている。だから必要のない屋内では鞄の中に入れるのだが、型崩れしそうだ。その点、安くてぺらぺらの帽子なら気楽だ。
 その帽子を買い、被るようになってから仕事の調子がよくなった。今まで閉ざされていたことが開き始めた感じだ。これは偶然だと思うのだが、被った瞬間から気が楽になったことは確かだ。ここまでは気分の問題だが、現実的な面でも変化しだした。これは偶然そういう時期だったのかもしれないが、その帽子がきっかけとなったのではないかと思うようになる。帽子程度で流れが変わるわけはない。それはよく分かっているのだが、帽子が機運の変わり目を象徴しているように見てしまった。それなら、別の帽子に変えれば、また違うことが起こるのかというと、そういうことではないようだ。
 試しに、いつも被っていた帽子に変えたこともあるが、特に変化はない。
 だから、やはり偶然だったのだが、縁起のいい帽子というイメージが残った。
 帽子と実際の現実との因果関係はない。帽子を変えれば善いことが起こるのなら、楽な話だ。
 ある日、少し風の強い日、橋を渡っているとき帽子が飛んだ。川に落ちた。拾えるほど小さな川ではなく、また下へは降りられない。柵があり、乗り越えれば、水際まで出られるだろうが、流れていく帽子には届かない。だから、見送るしかなかった。
 帽子を風で取ばされることはよくある。田村は一度だけ溝に落とした。狭い溝なので、拾うことが出来た。これ一度だけ。
 そして、川に落とし、拾えなかった経験は初めてだ。そのためか、この帽子はやはり特殊な何かがあったように思う。この場合の特殊とは、縁起物だろうか。帽子は他にも多く持っている。ほとんどなくさず、仕舞い込んである。だから、今までなくした帽子など一つもないのだ。
 その後、仕事の調子は特に悪くなったわけではない。ただ、すこぶる好調ということでもない。
 そして、なくしたものは仕方がないので、いつもの帽子を被るようになる。あの帽子を買うときに被っていた帽子だ。この帽子には特に思い入れはない。被りやすいので何となく使っている。
 そして、あの帽子を売っていた店へ寄ってみた。店の前にあったワゴンはもうない。
 残念だが田村は今度またワゴンが出るのを楽しみにしている。
 
   了
 


2013年7月26日

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