小説 川崎サイト

 

動く人

川崎ゆきお


「危ない時はねえ。一気に駆け抜けるのがいいのですよ。何も考えずにね」
 老人が老人を諭している。
「しかし、もう走れないので、駆け抜けられませんが」
「足腰のことを言っているんじゃない。喩えだよ喩え」
「そうだと思いました」
「怖がってじっとしていると、どんどん悪い想像をする。それで自爆してしまうんだ。それなら、一か八か前に出た方がいい」
「それは危険では」
「動いている状態の方がいいんだよ。止まると死ぬ」
「ずっと泳いでいないと死んでしまう魚のようなものですか」
「まあ、そうだが」
「でも、動けない時ってありますよね」
「本人が動けないと思っているだけじゃないのかね。または動きたくないと」
「はあ」
「動けるのなら、動く。それがよろしい」
「でも、疲れそうですが」
「柔い動きだと、体もそれでいいと思い、努力せん。少し無理をしてやれば、体も何とかやろうと頑張る。体をさぼらせてはいけない。それに頭もそこまでしか力がないと判断し、それが標準になる。さぼればさぼるほど、その標準が落ちる」
「それで、あなたは毎日よく歩いているのですね」
「決して距離を伸ばそうとは思わない。まあ、これが維持出来ればいい」
「じゃ、無理はしていないと」
「体調が悪いときでも歩く。これは無理をしていることになる。距離は同じでもね。また、雨の日、風の日、低気圧の日、炎天下の日、これは同じ距離でも辛い。これもまた無理をしていることになる」
「ああ、なるほど」
「ただ、疲れは溜めてはだめだ。疲れておるときは、休んでもいい」
「はい」
「しかし、若い頃と同じようには動けませんが」
「当然じゃ。しかし、必要以上に動きをセーブする必要はない」
「精神的な面ではどうでしょうか」
「精神」
「はい」
「気ばかり焦って身体が付いて来んことはあるねえ」
「あります」
「それは、まあ仕方がない」
「生き方での精神面はどうでしょうか」
「運動じゃなくてね」
「はい」
「まあ、やることを見つけだすことだね。仕事をやっているのが一番いい」
「仕事がありません」
「じゃ、草むしりでもいいし、家の掃除でもいい。やることがいっぱいあるだろう」
「そうですねえ」
「昔の農家の人を見なさい。すごい年齢でも田んぼに出てた。山仕事の人もそうだ。あれが一番いいんだがね」
「何とか工夫してみます」
「臆病にならず、前に出ることだ」
「私には無理かもしれませんが、少しだけやってみます」
「うむ」
 積極派と消極派の違いがある。積極派の方が有利だろう。創意工夫することで生き残りやすい。生き残れなかっても、その間、それなりに愉快なことも多いだろう。
 
   了
 




2013年7月29日

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