小説 川崎サイト

 

トコロテン

川崎ゆきお


 夏の日の茶店での会話だ。
「暑い日は体がえらいですわ。体が偉人なわけじゃないがね」
「そうですねえ。ひと雨あると楽なんですが」
「今度は低気圧で体が重いですわ。体重が増えたわけじゃないけどね」
「春なんてどうですか」
「眠いし、花粉が飛んできて、鼻水は出るわ、目は痒いわで、さっぱりですわ」
 どの季節も駄目らしいので、大村はそれ以上聞くのをやめた。
「あなたは元気そうで。まあ、若いんだから、当然か」
「そうでもありませんよ」
「まあ、元気がないときでも、こうして出かけることが大事でな。今日は暑いので、冷房の効いた部屋でじっとしておこうと思ったのじゃが、冷えすぎる。寒くなってきましてなあ。やはり暑くても自然が一番」
「この茶店は涼しいですねえ」
「そうだろ、エアコンもない。しかし、風がよく通る。樹木が多いですからなあ。ここでなら熱いうどんを食べても、何ともないように思われる」
「思われる……ですか」
「何かおかしいかな」
「いえいえ、梅雨が明けたと思われるの、あの思われるですね」
「梅雨か、懐かしいのう。今となっては」
「この前のことですが」
「そうじゃったなあ」
「ところで、いつもこの時間、この茶店に来られるのですか」
「夏場だけさ。冬場はさすがにここは寒い。だから夏向けだ。ここは」
「今日も暑いのに、よく来られましたねえ」
「夏は、ここに来るのを楽しみにしておる」
「ここの名物は何ですか?」
「トコロテンかな」
 大村は、それを聞き、トコロテンを注文する。
「あんた、観光かね」
「はい、この辺り、お寺が多いので」
「若いのに寺参りとは」
「たまには嗜好を変えようと思いまして」
 トコロテンが来た。
 大村はそれに黒い蜜を付け、すすり込む。わらび餅は食べたことがあるが、太いうどんのようでいて四角いトコロテンを食べるのは初めてだった。最初はこんにゃくかと思った。
「暑いときは、これが効くんだ。かき氷よりもな。冷えが長持ちする」
「そうなんですか」
 大村は一気にトコロテンを喉に流し込んだ。
「冷えていませんが、いい感じです」
「そうだろ。冷たすぎるとまた駄目なんだ。このあたりがいい」
 その言葉を最後に、老人は黙ってしまった。あまり喋ると、体が熱くなるためだ。
 老人が沈黙したので、大村は立ち上がった。
 そして、寺へ向かった。トコロテンを食べたおかげか、暑さはそれほどきつくは感じなかった。
 たまには嗜好を変えてみるのもいいものだ。
 
   了
 


2013年8月9日

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