小説 川崎サイト

 

季節のもの

川崎ゆきお


「ついこの間まで、椿を見ていました」
「椿って、花のあの椿ですか」
「そうです。映画椿三十郎のあの椿です」
「懐かしいですねえ。椿三十郎。黒沢映画ですね」
「三十代なので、三十朗。適当でいいですなあ。本名があるはずなのですがね。それは分からない。まあ、架空の人物ですからなあ」
「はい」
「椿の次は梅です。これをよく見ていました」
「近所での散歩風景ですか」
「そうです。次が桜」
「はいはい」
「その季節が一番華やいでいましたなあ。さすがに花は桜に人は武士です。しかし、桜以外は花じゃない、武士以外は人じゃないと誤解されそうですがな」
「ああ、そこまでは考えませんでしたが。それに、そんな言葉、初めて聞きました」
「何かの歌の文句でしょうなあ。そうして言葉になると、もっともらしくなる。そういうものかと思ってしまうものです」
「はい」
「次はかなり飛んでアジサイですかな」
「梅雨まで飛びますか」
「これは人様の庭のを見ています。まあ、道端でも咲いていますが。私はこの花は今一つなんです。嵩高くてね。ボリュームがありすぎるんです。何となく白菜を連想します」
「でもよく見ておられますねえ」
「まあ、目に付くんでしょうねえ。咲いているとね」
「次は何でしょうか」
「蝉の抜け殻です」
「ああ、植物じゃなく」
「それを見ると、夏を感じますなあ。そして蝉時雨」
「蝉の抜け殻は小さいし、探さないと目にすることはないと思いますが、蝉の鳴き声は目立ちます。目ではなく、耳に来ますねえ」
「まあ、そこまでですなあ。夏は暑くてあまり外に出なくなります」
「じゃ、蝉でいったん打ち止めですか」
「いやいや、こちらが知らないだけで、いろいろな草花が咲いているのでしょう。ただ、椿や桜ほどではない。咲く花が多い季節は逆に目立ちません」
「蝉の前に蛙の鳴き声はどうでしょうか」
「最近聞こえませんなあ。蛙の鳴き声は。小川や田の蛙も雨蛙も。これらは季節からどんどん忘れ去られ、消えていくのでしょうなあ」
「はい」
「でも雨が降る寸前、庭先で蛙が鳴くことがあります。いないはずなのにね。生き残った雨蛙がいるのかもしれません。しかし、姿を見たことがない。鳥じゃないと思いますよ。蝉かもしれないが、あれは確かに蛙だ。ただ、一匹なんです。合唱しない。そこがちょっと妙なんですなあ」
「昔は田植えの頃、蛙の鳴き声がうるさかったです。確かに最近聞きません」
「庭のその蛙は、蛙にしては、音がでかい。これはやはり蛙ではないのかもしれませんなあ。しかし雨が降る直前に鳴く。不思議です」
「それで、季節感なんですが、蝉時雨の次は何でしょうか」
「白粉花を経て彼岸花でしょうなあ」
「ああ、なるほど、あの朱色、目立ちます。いきなり咲いてますからねえ」
「まあ、そういうものは探し出して見るんじゃなく、自然と目に入るものがよろしい。そして、軽く見る。その程度です」
「秋は紅葉ですね」
「それは冬の手前ですなあ。まるで、季節の夕焼けです」
「はい、今日は季節感のお話し、ありがとうございました」
「いえいえ、偶然目にしたものを述べただけですよ」
「はい」
 
   了




2013年8月11日

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