小説 川崎サイト

 

青春の夏

川崎ゆきお


「夏の思い出ですか」
「何かありませんか」
「夏ねえ、思い出ねえ」
「何かあるでしょ」
「あるにはあるが、ただの記憶だよ」
「たとえば」
「夏の暑い日、山道を歩いたなあ、程度ですか」
「印象に残る夏の思い出はありませんか」
「だから、印象に残ったから覚えているんだろうねえ」
「青春時代の夏の思い出は」
「それも、暑い道を歩いたなあ、程度かな。何でその道を歩いていたのかは忘れたがね。確か仲間達と一緒に遊びに行ったんだろうねえ。あの頃の連中とはもう寄り合う機会もないが、どうしているんだろうかと、たまに思いますよ。しかし、それは夏とは直接関係ないかもしれませんからね、だから、夏だからこその思い出とは言いにくい」
「今日のような夏の日、空を見ていると、雲が沸き立ってますねえ。これって、印象に残るでしょ。今見ている夏空と、青春時代に見た夏空の違いのようなものがあると思うのですが」
「違いねえ……今はこの異常な暑さ、何とかならんかと思いながら空を見ていますよ。昔の伸びやかな入道雲とは一寸違う。雲の形も狂気じみていますなあ。あれでは青雲の志も狂うかもしれませんよ」
「では古き良き昔の夏の日、夏の空。といったことで、先生にエッセイを書いてもらいたいのですが」
「何か、適当に作ってみますよ。実際にはないんですがね」
「そんなことはないと思いますよ。思い出してください。探せば出てくると思います」
「実はあるんだがねえ」
「それでいきましょう」
「しかし、それは書けないんだな」
「何かプライベートな……」
「そうじゃないんだけど、これを書くとややこしくなる」
「どんな話でしょうか」
「幽霊を見たんだよ」
「はあ?」
「これを書くと、出て来はるかもしれんからなあ」
「出て来はる?」
「確かにあれは青春時代の夏の日の話だけど、幽霊はいけないでしょ」
「ああ、そうですねえ」
「要するに青春の話でしょ」
「はい」
「その後、見ていませんがね」
「幽霊をですか」
「それに場所も悪い」
「何処ですか」
「昔の赤線だよ」
「遊郭のようなものですね」
「建物もそのまま残っていたよ。今はないがね」
「そこで見られたのですね」
「ああいう所は出やすいらしいよ。でも、悪い評判が立つので、内緒なんだとか」
「それは本当に幽霊だったのですか」
「その話はもういいでしょ、これ以上話すと、お出ましになる」
「出て来よると言うことですね」
「そうそう。出て来よる」
「じゃ、何か無難なところで、夏の日の青春でお願いします」
「ああ、昔の文芸仲間と一緒に山越えをした話にしましょう」
「はい、それでお願いします」
「よしよし」
 
   了



2013年8月17日

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