小説 川崎サイト

 

調子について

川崎ゆきお


 調子の良いときは逆に駄目なことがある。その逆側は調子の悪いときだ。しかし、調子の悪いときに何かをするのは、しんどい話だろう。
 調子の良いときは調子に乗る。何事もすらすらと行く。だから出来て当たり前で物足りないほどだ。ここがどうも竹田は気に入らない。これは悪くはないはずなのだが、何となく迫力がない。危機感がない。
 危機感が何かを成すときのきっかけになる。調子の良いときは、それらの危機を乗り越え、順風で進んでいるときだろう。だから、そこでゆったりすればいいのだが。
 調子が悪いときは調子の良いときに戻そうとする。調子を取り戻すのが目的なら、調子が戻れば、それで満足なはずだ。つまり、その調子でやって行けばいい。あとは調子を崩さないことだろう。そして、特に何かをしなくても、調子は崩れるものだ。それは天気が崩れるのと同じで、自然現象に近い。
 竹田はそう考えると、調子の良いときは良いなりの、悪いときは悪いなりのことをすればいいのではないかと結論を得た。そんなことは誰かが何処かで何度も言っていたはずなので、珍しくも何ともない。平凡な結論だろう。ただ、本当に納得して、それを知っていたわけではなかった。つまり、深く体験したわけではなく、豆知識的なものだったのだ。
 ただ、調子の良し悪しは結構精神的なことなので、何とも言えないことがある。つまり、調子の悪いときが一番良い感じで物事を進められることもあるからだ。
 そうなると、出てきた結論も、色あせてくる。そして、行き着くところは、成るようにしか成らないということに成りやすい。要するに帆は風任せ、艪は波任せ、成り行き任せという風雅なことになる。これは楽でいいのだが、結構腹が出来ていないと出来ない。または、全く腹が出来ていないかだ。
 それだけに、これも難しい。
 ただ、調子の良し悪しを判断するのは、本人自身の場合が多い。ここに何かトリックがあるのではないか。たとえば調子は普通なのに、調子が悪いと思ってしまうことがある。勘違いとか思い違いで。当然その逆もある。勝手な判断が調子を狂わせているのだろう。ただ、その真意はよく分からない。
 そして、調子の悪いとき、あることでスッと簡単に戻ることがある。その逆もある。
 竹田はさらに出した結論は、気分の問題ということになる。それだけに、問題や原因は分かっているのだが、対処方法はない。気分なので。
 従って、これはもう放置するしかないのだろう。同じ天気が続かないように、同じ気分も続かない。
 
   了

 
 



2013年8月18日

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