小説 川崎サイト

 

梅干し婆

川崎ゆきお


 一昔前には梅干しババアと呼ばれる高齢女性がいた。最近あまり聞かない。梅干しババアとは、顔が梅干しのようにしわくちゃになっている感じだが、皺の多いお婆さんのことだろう。顔が梅干しに似ていたりする。
 梅干しババアは「このアマー」と、女性のことを呼ぶときに近いニュアンスもある。あまり良い言い方ではない。
 年を取ると男性はハゲを気にし、女性はシワを気にする。
 さて、梅というお婆さんがいる。その梅婆さんの梅干しが効くらしい。名が先で梅を扱っているのかどうかは分からない。ただ、自分の名が梅なので、梅には特別な思いが加わるのだろう。ただ、この梅婆さんの親はトメという名で、昔から梅干しが好きだったようだ。だから、娘に梅と名付けたのかもしれない。トメは梅干しが好きなだけではなく、梅干し作りが好きで、年代物の梅干しを保存している。娘の梅は、その梅干し壺と技法を引き継いだ。
 梅婆さんの住む家は、もう村の面影が消えつつある住宅地に古い農家がポツンポツンと残るその一軒だ。
 町内では「梅干し婆さんの梅干しが効く」と評判になっている。腹が痛くなったり、下痢になったとき、梅干しでもなめておけば治ると、以前は言われていた。しかし、あまり効果はない。ところが、梅干し婆さんの梅干しなら、下痢も腹痛も良くなる。本当はどうかは分からないが。
 梅婆さんの知り合いだけではなく、付き合いの浅い近所の若いママさんも梅干しを貰いに来る。子供の腹具合いが悪いとか、頭が痛いときなどに使う。医者へ連れて行くほどでもなく、薬を飲むほどのことでもないときに限られるが。
 頭痛のときは、梅干しの皮をこめかみに貼る。これは子供より大人が多い。
 梅干し婆さんの広い土間の隅に古い壺が幾つも並んでいる。薄暗く、ひんやりとしている。貰いに来た人は、古壷から取り出された梅干しを見て、ぞっとするが、今までこの梅干しが原因で、寝込んだという人は聞かないので、それが効いているようだ。
 梅干し婆さんは紙の上にそれを乗せ、くるっと包んで渡す。お捻りのように。無料だ。そして、ほとんどそれで治るらしい。
 それを聞きつけた薬局店が健康食品として、それを店に置くことにした。梅干し婆さんの梅干しが既に口コミで広がっていたからだ。
 それで、普通に薬を求めて薬局に来た人が買って帰るが、効かないらしい。ただの梅干しなので。
 しかし直接、婆さんの薄暗い土間で、手渡しで貰った梅干しは未だに効くようだ。
 
   了



2013年8月23日

小説 川崎サイト