小説 川崎サイト

 

消えた箸

川崎ゆきお


 箸を持ちながら箸を探す。メガネを持ちながらメガネを探す。自転車に乗りながら駐輪場の自分の自転車を探す。これらはそのうち気が付く。決してなくしていないのだから安心だ。しかし、そのときは本当に見つからなくなったような気になる。気になるどころか、本当にそんな状態になる。探していたものが実は身近にあったのだという話ではない。ただの死角、盲点だ。
 なくした、消えたと思い違いしているのだが、これはよくあることだ。
 作田は箸をなくした。ただの割り箸だ。茶碗にご飯をよそうとき、しゃもじを使うのだが、作田は割り箸を使う。炊き立ての温かいご飯ならしゃもじだが、冷やご飯になっている場合は割り箸を使う。なぜだか分からないが、そういう流れが出来ている。これはどうして出来たのかは話が細かすぎるためか覚えていないようだ。
 しゃもじにはご飯粒が付く。そのため、少し濡らすのだが、それでも付く。それをそのまま放置しているため、次にご飯をよそうには、しゃもじを洗っておかないといけない。これが面倒なのだろう。また、しゃもじより割り箸の方が微妙に取り出す量加減が出来る。それに、この割り箸は洗わなくてもいい。そこでご飯粒が付いても、それで食べるのだから、どうせ付くのだ。作田は冷やご飯はお茶漬けにする。これで箸も洗える。
 作田は自分の箸を持っていない。食べ物を買ったときに付いてくる割り箸だ。これは増え続けるのだが、何かのきっかけで消えていく。割り箸は箸立てに立てているが、それほど多くはない。下手をすると足りなくなる。しかし、割り箸の管理をやっているわけではないので、どういうことで消えていくのかまではチェックしていない。
 消えても割り箸なので、その辺を探せば封を切っていない割り箸の一つや二つは出てくる。
 その意味で、作田は箸を大事にしていない。冷たく硬くなった冷やご飯に箸を突き入れ、ぐっと割るとき、箸が曲がったり折れたりすることもある。それで淘汰されるのだが、これは割り箸なのでやれることで、上等な箸ならそんな無茶なことはしないだろう。
 割り箸を使う理由はそれだけではない。塗り箸は滑るのだ。
 さて、作田が箸を見失ったのは炊飯器の前だった。左手に茶碗を持っている。ご飯をよそうとしたとき、箸がないことに気付いた。そのとき、既に右手に割り箸を持っていたのだ。それに気付かなかったのは、いつもの箸の持ち方と違っていたことによる。
 他のことをするため、右手を使った。そのとき、指先をフリーにするため割り箸を手の平に入れた。
 本来ならご飯をよそうとき用の持ち方で炊飯器の前に立っているはずだ。その場合、箸は確実に認識しているし、よく見える。メインの指で挟んでいるためだ。ところが他の用で右手を使ったとき、箸をメイン箇所から外した。それを戻すのを忘れていたのだ。ただ、こんなことを仕事のようにチェックなどしないだろう。
 箸は後ろ側、腕側に伸びていた。死角だ。忍者が刀を逆に構えるようなスタイルだ。
 それで、さっきまで持っていた箸は何処へ置いたのかと探した。すぐ近くに箸立てがあり、そこから取り出すことは容易だが、残り本数が少なくなっているし、それに置き忘れた場所を知りたい。
 この間、約数秒。右手で用をしていた周辺を見たが、ない。またキッチンから出ていないことから、他の部屋に置き忘れた可能性もない。
 さっきまで持っていたのだ。だから、消えたとしか思えない。もし本当に物理的に消えたのなら、箸を探すどころか、お茶漬けを作っている場合ではない。超常現象なのだ。しかし、そんなことは起こり得ない。
 それで、探しても見つからないので、ふと、右手を見ると、箸が隠されていた。握り替えたことで見失ったのだろう。右手で用をしていたので、握っていた箸が邪魔なので、消えて欲しいと思ったようなものだ。そして、そういう握り方に変えた。これがすべてだろう。
 消えた箸は、丸見えのタネのあるマジックのように、さっと出てきた。そして、茶碗にご飯をよそい、お茶漬けを食べることが出来た。
 作田はもうそのときは箸のことなど忘れている。思い出したくもないからだ。
 
   了 


2013年9月4日

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