小説 川崎サイト



ある観念

川崎ゆきお



 大瀬は昔のことを思い出すときは、今がやばい状態だと考える。
 元気なときはあまり古いことは思い出さない。過去より未来を思うためだろう。
 大瀬は続けて昔の映像を見る。夢の中の映像だ。夢は昼間の何かが引き金となり、夜にそれが炸裂する……とは考えていない。昼間見たどれとも関係しない事柄なのだ。
 関係があるとすれば、昼間に拙いことがあり、どうしようもない状態に陥ったとき、昔の夢を見る。
 つまり、やばいときに昔のシーンが現れるのだ。それが大瀬のパターンで、彼だけが何げなく知っている図式なのだ。
 袋小路のどん詰まりのような状況のとき、現実の何処にも抜け道がない場合、夢という抜け道を通り、昔へ下るのだ。
 確かに最近大瀬は元気がない。起業家と呼ばれ、雑誌の取材とかを受けていた頃から数年で事業は行き詰まっている。
 起業家の多くはITに走った。成功した人の殆どがIT関係だった。
 大瀬は社員を抱えている。もう食べさせるだけの売上はない。それを言えば社員は去って行くだろう。次の仕事先を求めて。
 だが、大瀬が言わなくても社員は既に知っているはずだ。
 突破口は見つからない。袋小路だ。だから、あの夢を見るのだ。
 その夢は、大瀬が長屋に住んでいた子供時代、鬼ごっこで路地を走っているシーンだ。
 鬼に追いかけられ、必死になって逃げているとき、今まで知らなかった抜け道を見つけ、路地の奥へ奥へと入り込む夢だ。
 そんな路地は夢の中でしか存在しない。なぜなら、抜け道は子供の頃にもなかったのだ。
 ではなぜ体験もしていない路地の映像が浮かぶのだろう。
 大瀬はその路地の夢を何度も見ている。やばい時期に続けて見るのだ。
 これは予知夢ではなく、やばい状態をそのまま現わしている。
 大瀬は会社を畳む決心をする時期だと観念した。
 この夢が如実に語っている。
 鬼になった幼なじみに追いかけられたのは現実の話だ。実際に鬼に捕まった。その無念さが抜け道の夢を作ったのだろう。
 
   了
 
 
 


          2006年10月30日
 

 

 

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