小説 川崎サイト

 

村の八百屋

川崎ゆきお


 久しぶりに里帰りした高瀬は、実家でのんびりしていた。仕事がうまく行かなくなり、暇なのだ。それで時間が作れた。
 都会からそれほど離れていないので、いつでも日帰りで帰れる距離だ。
 自分の部屋はそのまま残っており、持ち出さなかった本とか道具類もそのままある。もう興味のない品々だ。
「あの店はどうなったのだろう」
 今まで思い出しもしなかった店屋が浮かんだ。昼寝中、色々なことを思い出しているうちに、その店屋の風景が飛び込んだのだ。
 それは村の中心部にある店屋なのだが、実家から少し離れている。自転車で走り回っていた頃、何度も通った村だ。田畑や雑木林や溜め池が続く風景なのだが、たまに人家が集まっている場所に出る。
 その道の上に屋根があった。これを高瀬は思い出したのだ。普通の道の真上に板を張り付けただけの屋根だ。商店街ならアーケードだろうが、ここは一軒しか店屋がない。暑いときは日除け、雨の日は雨宿りの場所になる。
 その下を通ると薄暗く、そしていい匂いがした。果物の匂いだ。夏場ならスイカやスモモの匂い。店先は果物屋なのだが、実際には八百屋だ。何でもある。雑貨も置いていたように思う。
 その風景を思い出として、ずっと仕舞っていたわけではない。そのため、思い出すこともなかった。それが実家で、あれやこれやと思い出しているとき、急に来たのだ。
 実家に軽ワゴンもあるが、高瀬は母親のママチャリで行くことにした。そこはやはり自転車で通過しないと再現出来ないと思ったからだ。
 しかし、出るときから既に分かっていた。そんな道路に屋根のある八百屋など、もうないことを。
 場所はおおよそ分かっている。大人になってからバイクや車で、何度か通っている。当然八百屋を見るためではないが、その頃はまだあった。それから十年以上経つ。ぎりぎり残っているかもしれない。
 そして自転車で二つほど村を通過し、目的の村に突入した。
 しかし屋根らしきものはない。道幅はそのままだが、ガードレールや狭苦しい歩道が出来ている。横を流れていた川も蓋がされ、歩道になっている。古い家が左右に迫っているため拡張はそこまでなのだ。当然一方通行。
 高瀬は川の蓋をガタガタいわせながら屋根があったであろう場所に着いた。
 八百屋はなくなり、英会話教室になっていた。これはもう分かっていたことなので、ショックではない。
 なぜ八百屋が英会話教室になったのだろう。息子か娘、または孫が始めたのかもしれない。中を覗いてみると、がらんとしており、流行っているようには見えない。殆ど貸しスペース状態で、活気がない。蓄積の痕跡も重みもない。
 高瀬が都会でやっている仕事状況に近い。
 懐かしの風景を見に来たのだが、リアルなものを見てしまった。却ってそれでよかったのかもしれない。と思いながら、自転車を走らせた。
 高瀬は一週間ほど実家で充電し、都会へと戻った。
 
   了 
 


2013年9月12日

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